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クマのおいとま(6)

 初めての北海道旅行二日目。
 眠い目をこすりながら早朝にやってきたのは、

「初めての北海道……」
「せっかくだから……」
「海の幸は食べておきたいですよね!」

 『市場食堂ふじ膳』で朝から海鮮丼を食べました。
 朝の海鮮丼は一日限定20食、こんなに具が乗っててお値段700円‼︎
 早起きして開店前から並んだ甲斐があります。
 海の幸、なんと甘く美味しいのでしょうか。主に自慢したい……。

 豪華な朝ごはんを済ませて、車で一時間弱走ったところで北海道旅行のメインイベントが始まります。

「山間の湖です。なにかうっすらと見えますね」
「これは……」
「湖底線路! 千と千尋◯神隠しで見ました!」
「水が青くて神秘的です」

 北海道の中で一番標高が高いところにある然別湖にきました。
 透き通った湖に線路があり、フォトジェニックスポットとしても有名です。
 湖底線路、とても良い。ロマンがあります。

「でも、今日の目的はこっちなのです」
「これが、登山口ですか……」
「クマ出没注意の看板が……ドキドキします……」

 大雪山国立公園にある『白雲山』。
 この山を登ってみます。
 薄暗く、先の見通せない登山道。見えない山頂。この小さな足で登っていくなんて、本当にできるのか。
 身の竦む思いがします。
 でも、主の好きなこと、私も知りたい。
 そう思ってしまったのです。
 意を決して森へと入っていきました。

 (主の教えの通り、木箱の中にある登山届にしっかり記入してからスタートしましたよ!)

「森の中を縫うように細い道があります」
「いやこれキッツくないですか⁉︎」

 登り始めて数分で、すぐに息が切れました。
 白雲山の登りのコースタイムは1時間30分。まだ序盤なのにこんなに疲れて平気なのか、と焦ります。
 木の根が這う泥の坂道、不安定でゴツゴツとした岩の急坂、自分の身体の重さを感じる。
 転ばないように必死に足を上げます。

「ちょっと休憩です。湿った土の匂いがする」

 あまりの苦しさに立ち止まり、息を整える。
 主は登山中、こうして息を整えてる時間が好きなのだと言っていた。Mの気があるとしか思えない。
 湿った土の匂いが胸いっぱいに広がります。

「あ、キノコ! かわいいですね」
「これまた凄い道ですね。道、ですか…?」
「苔でしょうか? 小さな森みたいでかわいいです」

 足元ばかり見ていたが、ただの地面ではなく色んな植物があるのに気付きました。
 土の色、緑の色、根の色、それぞれが彩豊かで自然は鮮やかなのだと知りました。
 なんだか気分が軽くなって、顔を上げると

「然別湖、あんなにグネグネしてたのですか…」
「岩だけの山もありますね」
「十勝平野が見えます、本当に畑がたくさんですね!」

 あいにくの曇り空ですが、しっかりと十勝平野が見えました。
 遠くまで広大な畑が続いていて、一本線の防風林がマス目を作るように伸びています。北海道ならではの景色です。
 いつの間にかこんな高さまで登っていたのでしょうか。
 案外、山頂はもうすぐかもしれません。

「まだ登るのですか…!」
「これじゃクライミングですよ!?」
「岩の隙間に落ちないように慎重に……」
「やっと登りきった……」

 山頂付近は大きな岩だらけで、必死にしがみつくように登りました。
 浮石という固定されてない石を踏まないように、主の忠告が蘇ってきます。ここから落ちたらひとたまりもありません。
 登り切ると、風が全身の汗を冷やしてくれました。

「標高1186m、白雲山。登頂です!」
「さ、さすがに疲れました……休憩……」
「どうしてここの岩は崩れないのでしょうか、不思議です」

 然別湖を見下ろし、十勝平野と日高山脈が見渡せる大パノラマです。
 休憩しながら持ってきたお菓子を食べます。山の上で食べるハッピーターンは悪魔的な美味しさです。最高。
 食べ終わったら、さっそく下山です。
 見下ろすと目眩がしそうなほどの高度感に肝が冷えます。正直怖い。
 登山は登る方が好きだと言っていた主の気持ちがよくわかりました。下山、怖い。

「息も絶え絶えになりながら降りてきました…」
「かわいいお花です、図鑑とか持ってくればよかったかな」
「笹と倒木の道。虫が多い!」
「これもキノコですか、なんと小さくかわいいのでしょう」
「湖のほとりまで戻ってきました! 不思議な色合いです」

 無事に下山しました。
 途中、ヒグマの糞を見つけたり、ハチに追いかけられたりして終わるかと思いました。何事もなくてよかった…。

 帰りに、車で3分ほどの距離にある『然別湖畔温泉ホテル風水』の日帰り温泉に入りました。
 赤道色のお湯に湯の花が浮かぶ源泉100%の掛け流し温泉です。とても強烈に体が温まりました。

「本州とは全然違う景色です」
「大型バイクに乗った人がたくさんいましたよ」

 これで北海道旅行のメインイベントは終わりです。
 初めての登山、大変でした。すぐ息は切れるし、虫がいっぱいだし、疲れるし。
 けれど、足元に見つけた名前の知らない花やキノコ、ほてった汗を冷ます気持ちいい風、山頂から眺めた景色、その一瞬の思い出が鮮明に思い出されます。
 きっと主も、その一瞬の思い出に魅力されて登山が好きになったのでしょう。

「バイバイ、北海道の山」
「なんだかあっという間でしたね」

 すっきりとした気分です。
 登山をする前よりも体がうんと軽くなったようです。
 帰りの飛行機からも主のいる山は見つけられませんでしたが、なんだか良い考えが浮かんできました。
 帰宅してからも忙しくなりそうです。



【行った場所】
 白雲山
 https://www.daisetsuzan.or.jp/tozan_info/然別湖周辺%E3%80%80白雲山・天望山/

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