MONDAYのぜんぶ
毎日とはいかなくても…
インスタグラムのストーリーに風景の写真をあげている。MONDAY、TUESDAY 、、今日の曜日を加えてるのは、英語だったら日本人じゃなくても楽しめるな〜と思ったからだ。
その日に撮った写真をあげるのが好きだ。発見と思えたことが大事だ。加工をしないのが良い。撮ったときのままの写真の方が嬉しいから。あげたらおもしろそうだけど自分的に少しでも「発見」が無かったら載せない。なんとなく。だから普通に撮れない日もあるけど、、
iPhoneの写真はかっこいいと思う。なぜか分からないけれどとっても好きだ。一眼レフじゃないし、こんな風に写真について語っていいのか分からないけど、どこか発見あったらいいなと思って一日を過ごすことと撮ることは生活の中で大事なことになった。簡単だしとっても楽しい。だから好きだ。
おもしろいことが身近に転がっているのがおもしろい。毎日見ているのに時間によって違うのもおもしろい。むしろ分刻みでたまたま違うのもおもしろい。
近所ですらめちゃくちゃきれいだなとびっくりすることがある。むしろ近所は俺たちのことを試しているのかもしれない。
すると好きな風景がふえていく。好きな景色は急にすぐ建て替えだとか一瞬の何かで消えてしまうことが多いのでさみしくなることも多い。
風景をカタチ作ってるものっていろんな要素でほんとたまたまで、誰かがちゃんとかかわっている。なくなるときにそこにいた人を想像する。写真では見えないけどそこに人がいて場があった。人と場はすごくつながっていることに驚く。ぜんぶ偶然。たまたまな世界
なんかいろいろな偶然があって、ここに自分がいるのが不思議だなーと思う。
フランクルの「夜と霧」を読んだときに、収容所にいるフランクルが昔を思い出して部屋のスイッチを押す動作さえ大事に懐かしく思ったというような文があって、いつもそれを思い出す。ささいなことが大事になる瞬間。
そうか。、おれ、こんなことどうして大事だと思うのか。そこに誰がいるのか分からないけれど、人がいる気配やにぎわいに安心を覚える。日常のちょっとしたおもしろさが、昨日とは違うんだという感覚を与えてくれる。コンクリートから花が咲いて毎年枯れてまた咲くことに発見をするし、新しい一年を感じて楽しくなる。風景のささいなことを見て、生きてるな〜と実感する。
おれは日々どこにいってもどこの人間関係でも浮いてしまうことが多くて、生きてる実感みたいなものを場所からもらってるんだな〜と気づきました。
あと風景を見ていると、いつも太陽ありがとうね〜という気持ちになります。ありがとう!
おれの身近な写真集
おわり
読んでもらえてうれしい