見出し画像

命の課題~いつ死ぬかわからんので~

上記のツイートをした前日の2023年3月14日。

私は妻とのランチを終え、ホームセンターでの買い物を楽しんでいた。
赤ちゃんも一緒だった。
駐車場に車を停めて車外に出ると、眩いばかりの陽光に目を細めたのを覚えている。後部座席のチャイルドシートから眠っている赤ちゃんを抱きあげ、両手で空に掲げるようにして私は「おはよ~」と優しく赤ちゃんに声をかけた。
赤ちゃんと妻と私の笑顔が透き通るような青空の下で交わり、冷たい風の中にも春の兆しを感じる気持ちのいい日だった。

とてもいい日だった。

「今日は家族でランチをして買い物をして、帰宅したらDIYを楽しんで、そうだ、夕方頃には燻製器に入れてある自家製ソーセージとサーモンが仕上がる」と、心を弾ませながら過ごしていた。

そんな折にかかってきた父からの一本の電話。

「弟が血液ガンかもしれない」

文字通り青天の霹靂だった。私はすぐに白血病を連想した。そして父から聞かされた少ない情報からイメージできる、今後のあらゆる状況に思いを巡らせた。ホームセンターで戸車の部品を手に持ちながら空を眺めて。

結局、2週間ほどの検査期間を経て、弟はガンでないことがわかった。どうやらサイトメガロウィルスという細菌による症状らしい。少なくとも命にかかわるような深刻な病ではなかったようだ。

とはいえ、父からの一方を受けてから丸一日程度は落ち込んだし、色々なことに気を揉んだ。そして最悪のケースで自分にできることを考えた。弟の奥さんや子どものことも考えた。その間は仕事も手につかなかった。

一日も経つと、最悪のケースを受け入れる心の準備ができ、精神が安定した。それから検査結果が出るまでのおよそ2週間、普段通りの日常を過ごしながらも私は人生や命について真剣に考えた。

今まで親族や友人などが病や自殺で亡くなっても、こんなに死をリアルに実感したことがなかった。

弟はまだ若いし、発達障害の諸問題を乗り越えてようやくまともに働けるようになり、昨年は結婚もし、ついには子を儲けた。子どもはまだ1歳にも満たない。そんなタイミングでの出来事に、運命の残酷さを感じずにいられなかった。

そして、そんな運命がいつ自分に降りかかるかもわからない現実に、はっと目が覚めた。弟の病気をきっかけに、私は自分の人生の在り方や今の自分にできること、できないことを改めて考えた。

そして、悔いを残さないように生きたいと心から思った。

ポーズでなく、本当に生まれて初めてそんな感情が心の底から湧いてくるのを感じた。

これから先も、まだまだいろいろな人生の課題や問題に直面するのだろう。

歳をとるほど病や死という言葉が存在感を増してくる。

まるで死神の歩みを眺めている気分だ。

これらに伴う不安や恐怖を上塗りするくらいに幸せな日々を生きたい。

毎日を精一杯生きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?