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定型社会のいいところ、わるいところ

長らく定型社会(つまり一般社会)で生きていると、その社会の欠点や短所が見えてきます。発達障害を知ることで、いっそう解像度が高まりました。

今回は表題の通り、私が観測した「定型社会の長所と短所」について書きます。

定型のいいところ①必殺の空気読み

定型社会の代名詞「空気読み」。

ぶっちゃけ、定型社会は空気読みで成り立っていると思います。空気を読むというのはつまり、その場にいる人や相手の気持ちを把握し、各々に配慮した行動をとることです。10人の集団で遊んでいる場合、8人にとってめちゃくちゃ楽しい遊びでも、2人が無理に合わせようとしていたり、その遊びを苦痛に感じていたりする場合、空気を読める人はその2人の気持ちを察し、配慮したアクションをとります。

交渉の場でも、相手の表情や態度や言葉から本心を察し、合意できるよう代案を出したり譲歩したり条件を変えたりして能動的に調整します。

大体の定型は空気が読めますが、「アクションを起こすか否か」はまた別で、意外とアクションを起こせない人も多いです。多くは「失敗したらどうしよう」といった「失敗への不安」からアクションに消極的な様子。受動的な空気読みが得意な人は多いですが、空気を読んで能動的にアクションできる人はあまり多くありません。たとえばクラスで起きているいじめをスルーしたり無関心だったりするタイプなどが典型的です。

また、自己愛性人格やトラウマ持ちなど、内面に問題を抱えていると空気が読めないあるいは読まないケースもあるようです。

定型のいいところ②言語外コミュニケーション

「空気を読む」と原理は同じかと思います。空気読みも言語外コミュニケーションも、つまりはミラーリングによるのでしょう。

仕事やスポーツなどでは言語外コミュニケーションが役立ちます。この能力が高ければ高いほど集団で円滑にミッションを達成しやすくなるからです。個人的には言語外コミュニケーション能力の高い人が好きです。いわゆる「仕事ができる人」と評価されがちなタイプだと思いますが、発達からすると「察してちゃん」になりやすいのもこのタイプだと思います。

言語外で共有するものの一部として、以下があげられます。

・他人の気持ち
第三者の気持ちを汲み取り、その人の満足感や幸福感に集団でコミットしようとする等。民主主義的であったり独裁的であったり形式はさまざま。

・アイコンタクト
アイコンタクトは言語の壁を容易に超えます(言葉が通じない初対面の外国人とアイコンタクトで疎通できる等)。発達からすると「テレパシー」のように見えるかもしれませんが、コンピューターの同期と似ており、基本設計が同じだから同期はできるものの、型番やスペックあるいはそれ以外の謎めいた何かによる“相性”が存在します。

・ミッションを達成するために必要な情報の言語外共有
個人差はあるものの、定型は基本的に周りをよく見て状況を把握します。自分の視点だけでなく他者の視点からも状況や状態を推測し、統括的に戦況を見ます。スポーツの団体競技においても戦況がどうあるかを把握し、今の自分に求められる集団的な役割を自律的に割り出します。

・謙虚さと調和
基本的に定型は相手の気持ちや立場への配慮が前提としてあるため、自己主張ばかりしません。謙虚に相手を尊重したり謙ったりをケースバイケースで上手に使い分けます。綱引きをするような感じで、相手の引きが強いと手を緩めて引っ張らせてあげ、勢いあまって相手が転びそうになったらこちらから引っ張り直して元の位置に正す作業を繰り返すイメージ。

この作業に疲れてしまった人から、人間関係という舞台から順に脱落していく印象です。

調和意識と謙虚さがあってこそ、定型社会は現状の形で集団や組織として機能しているように思います。

定型のいいところ③生きるコストを軽減しやすい

定型には定型なりに「理想とするべき定型の形」があり、それを踏襲するように子どもの頃から教えられます。たとえば「人の嫌がることをしない」「他人に迷惑をかけない」「ルールを守る」「人のせいにしない」など、いわゆる「立派な社会人(立派な定型)」を目指す教育が施されます。

このように、社会が示す「理想の定型」という教科書があり、その教科書に則ってさえいれば、人生単位で何かを決断したり開拓したり考えたりする必要がありません。まして誰かと争ったり競ったり決着をつけたりする「でかいコストを支払う行為」を避けられる可能性も高まります。生きるコストを軽減しやすい属性といえるでしょう。

定型のわるいところ①空気読みが絶対正義

定型の短所として最初にあげたいのは、「空気を読むこと」です。

長所①で記述したように、定型は空気を読んで行動します。定型の教科書には「弱い人を助けよう」「他人を思いやろう」「人に優しくしよう」という規範があるので、多くの定型はそれに従い、弱い人を助けようとしたり他人を思いやったり人に優しくしようとしたりします(これすらできない人も多いですが)。たいていはこれで物事が円滑になるのですが、たまに「余計なお世話」や「ありがた迷惑」なことも起こります。

このときに厄介なのが、お節介をした方が「教科書に則った善行なのに、それを余計なお世話だなんて言う方が間違っている。自分は正しいことをしたのだから相手が悪い」と、恩着せがましい逆恨みに発展しやすいことです。

これが原因で起こるいじめや人間関係のしがらみはかなり多いと思います。

こういうケースはマジでめんどくさいです。

子どもは残酷ですからこういう現象がしばしばあるのですが、残念なことに大人になっても全然あります。

そしてこういうタイプの「思考も情緒も未熟な人間」は、「相手が悪い」と信じ切っており、自分自身が抱えている問題には無関心です。

また、余計なお世話の被害者も、空気を読んで「そうだよね、人の親切を余計なお世話だなんて思っちゃう自分に問題があるよね」と考えがちです。空気を読める人ほどこういう思い込みにとらわれやすく状況は悪循環の一途を辿り、歪んだパワーバランスが生まれます。

大なり小なりこういうバグが、「悪口」や「陰口」や「愚痴」といったガス抜きを要する大きな原因なのかもしれません。

余計なお世話は余計なお世話です。人の厚意がどうのこうのとか知らん。それが本当に厚意や好意であるなら、受け取った人間が不快な思いをするはずはないんよ。そんな当たり前のことも、空気読みは空気を読んで理解できなくなっちゃうわけだ。そんな空気読みは不健全だし自分を不幸にするだけです。

定型のわるいところ②言語外コミュニケーションゆえの未熟さ

言語外コミュニケーションで高度に疎通できればできるほど、コミュニケーションコストが軽減されます。つまりそれだけ快適なのです。

この快適さに味を占めてしまうと、言語コミュニケーションがおっくうになります。私も割とこのタイプで、妻をはじめ仕事でも交友でも基本的に言語外コミュニケーションでそつなく疎通できる人と付き合いがちです。その方が楽ですし集団としても個としてもパフォーマンスや幸福度が上がるからです。

でも、こういうタイプに限って「そんなこと言わなくてもわかるだろう」や「どうしてこんなことまで言わなきゃならないの?」と思いがちです。ですから私みたいなタイプは基本的に、言語コミュニケーションを主体とする発達と相性がよくない属性だろうと思います。

ぶっちゃけ私も、言語外コミュニケーションに頼り過ぎて自分の未熟さを省みないタイプは苦手です。同属嫌悪かもしれませんが、空気読み絶対主義のエセ正義漢と同じくらい苦手です。

「話が通じない」って致命的やもん。

言語外コミュニケーションは確かにコスパがいいし、それができる者同士の間に生まれる快感や幸福感は計り知れませんが、だからといって言語を捨てたらそれはそれで人間終わるよなーとも思います。

定型のわるいところ③コスト軽減の代償がバカでかい

長所③で「定型には教科書があり、教科書通りに生きれば生きるコストを軽減しやすい」と言いましたが、反面「自分で決断したり実行したりする能力が養われないため、自分で自分の人生を最適化する能力も養われない」というバカみたいにでかい代償があります。

これはもう悲劇です。

自分の人生を自分で築けないのですから、当然「自分らしい生き方」なんて夢のまた夢。

だから定型は、できるだけ早い段階で「定型的価値観」を超越する必要があると思います。

社会が決める幸福でなく、自分で幸福を定義する視点とでもいいましょうか。

とりあえず「人に嫌われたくない」「失敗が怖い」といった弱点から克服しましょう。定型はここをクリアできるだけで人生の可能性がかなり広がると思います。

結論

定型社会にはいいところもわるいところもあります。ときには長所が短所になりますしその逆も然り。

清濁併せ呑むではありませんが、定型のいいところとわるいところを素直に受け止め、いいところだけを自分の人生に採用し、わるいところは切り離すのがいいです。

発達も然り。発達にもいいところがありますし、わるいところもあります。いいところは素直に見習い、わるい部分は反面教師として学ばせてもらったら良い。

「そんな都合よくいくか」と思われるのでしたら、まずはその「そんな都合よくいくわけない」という先入観を捨てるのがいいと思いますが、人生をどう生きるかは各々の自由ですからどうぞお好きにしてください。

人のせいにするのは簡単です。

自分らしく生きるなら、自分で受け止め自分で整理し、自分で構築することです。




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