見出し画像

人生の何度目かの転機

最近、人生の転機を迎えていると感じている。
そう感じるのはおそらく、実際に転機が訪れているからというよりは、むしろ私自身が能動的に変えたいものがあったり、人生において新たな発見があったりしたからだと思う。そして事実、私の気持ちやモチベーションだけでなくライフスタイルも変化し始めてきた。

ここ最近、本当に色々なことが身の回りで起こった。たとえば長男とお風呂に入っていた時、彼が「お父さんは100万円持ってる?」と訊いてきたのだ。私は特に深く考えるまでもなく、というより正確には考えることを怠り、なんとなくのリスクヘッジとして「持ってないよ」と頭を洗いながら答えた(親あるある)。すると息子はとても悲しそうな声で「うちって貧乏なの?」と訊いてきたのだ。

そこでようやく私は改めてお金のことを彼に説明した。

息子は貧乏が嫌なのだと思う。確かに我が家は築数十年のボロだし、金持ちっぽい生活様式でもない(とはいえそれなりに豊かな暮らしを送っているとは思うが)。それはともかく、そんな彼の表情を見て私は親として単純に「この子を守ってあげたい」「この子にひもじい思いをさせたくない」と思った。これは実態や理屈に関係なく本当に親としての情緒的反応なのだと思う。

であればこそ、私はもっと一生懸命に生きなければならない。金持ちか否かでなく私自身の親としての生き方、あるいは社会人、人間、一人の男として彼に示すべき生き方というのがあるのではないかと改めて考えさせられた。つまり私はおそらく、彼に「豊かさ」を教えたいのだと思う。

今の私にはそれを十分に教えることができそうにない。だからまずは息子達のため、家族のためにもっと一生懸命に生きたい。

こうして彼の些細な一言が私の心に火をつけたのだった。それ以来、私はお風呂の中で見た彼のあの悲しそうな表情を忘れないよう毎日思い出しながら過ごしている。

もう一つの出来事は、Xにおいて私のある投稿が世間の注目を集め、それを機に匿名で運用していた私のアカウントが、何人かのリアル知人に特定されたことである。

もともとXのアカウントは、将来的には個人情報をある程度オープンにして(事業と絡めながら)運用するつもりだったので、匿名性に対するこだわりがあまりない。

一応今のところはなんとなく匿名で使っているが、いつか身バレすることを想定してもいたので、私のアカウントの匿名性が低下したからといって何が変わるわけではないのだけど。

とはいえその出来事を機に、匿名性に頼らない生身の自分としての自覚や責任感を持った上で発言なり発信しようと改めて思った。相変わらずバカなことや意味不明な独り言は言い続けるだろうが、Xを使う心境は以前と少し異なるだろう。これも一つの転機である。

最後の出来事は、上記に少し通じるかもしれないが、Xという空間やそこでの人間関係が、ネット上という仮想空間上の虚像でなくいよいよ現実味を帯びてきたことである。

先述した出来事により、実際にXを通して旧友と数十年ぶりに再会したし、もともと仲良くさせていただいていた相互フォローの人間模様もリアル感を帯びてきた。

リアルでもSNSでも素敵な人達とたくさんご縁をいただいて私は本当に恵まれていると思うと同時に、そんな素敵な彼らに見合う自分でありたいなぁと思ったり。

ここしばらく、私はずいぶんと自分を甘やかしすぎた。後悔こそしていないものの、いよいよ変化に向けて運命から背中を押されているように感じるとともに、自分の弱い一面ともしっかり向き合わなければならないと思っている(お陰様で自分の弱い一面を知ることができた)。こうして人生への思いを新たにしたのであった。

他にもいくつか印象的な出来事があったが、長くなるのでこの辺で。

余談になるが、最近はXのスペースなどで楽しくお話しさせていただくことが増えたのだけど、酒を飲んで気分が上がってくるとついはしゃぎすぎて、きわどい言葉をブッ込んだり言葉選びが適切でなかったりと反省する機会が増えてきた。それだけリラックスし気を許している証だとは思うが、口は災いの元である。

「リラックスしている証拠だよ」「酒の席なんだから」みたいな言葉で自己正当化するのは簡単かもしれないが、自分を甘やかしたところで得することは皆無なので飲酒を控えることにした。自分としっかり向き合ってもう一段大人になろう。人生はきっと死ぬまでこの繰り返しなんだろうな。

他にもやりたいこと、やるべきこと、やらなければならないことが色々ある。一つずつ着実に達成していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?