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24/5/31・6/3・6/4「『デモ』について考える会」@豊中・箕面キャンパス まとめ

会の看板

 この記事は、上記の会の内容をまとめた記事です。

 昨日(24/5/30)昼に、豊中キャンパスにて、パレスチナに連帯するスタンディング&署名集めが行われていました(私も飛び入りで参加しました)。

 シュプレヒコールなども上げられました。豊中キャンパスでこのような運動が行われることは極めて珍しく、弊学TLにてこのスタンディングは大きな波紋を呼び、それとともに「デモ」という方法論に対しての賛否両論が噴出しました。
 そこで、昨日の今日ですが翌日である今日(5/31)「『デモ』について考える会」を開きました。以下はそのまとめです。弊学で起きたスタンディングに対して、弊学学生から寄せられた賛否両論についてその直後に考えるという非常に文脈依存性の高い会でしたので、その点ご承知ください。また、特にテキスト等を用意したわけでもありません。
 取り急ぎ書いたので、過不足や不適切な点があればすみません(その場合は教えて下さい)。なお、最後にあげた文章やツイートは事前にこの会に向けて提供いただき、この会の議論の前提となったものです。

 (6/5追記)6/3月、6/4火に行った第二、第三回のまとめも付け加えました。


会の内容まとめ

□5/31金 第一回@豊中キャンパス まとめ

★全体的な結論

 実は「デモ自体への反対」はほとんどなく、あくまでその手法の是非について意見が集まっているだけなのでは?

◯デモへの反対意見

・「うるさい」
→図書館の近くとかだと反感は持たれやすい
→場所を選ぶ、シュプレヒコールを控えるなどで対策可能
→「うるさい」という印象を持たれると、「デモ」という方法論自体に悪印象を抱かれたり、デモが訴えるイシュー自体に目を向けられなくなる

・「こわい」「外部の人がいるのではないか?(という懸念)」
→外部の人がいると、当局がそれを弾圧の口実にしたり、党派性が見えて不信感につながる
→留学生含め、「「感覚として」」「日本人学生」ではない人間が多いと威圧感につながってしまう
→デモの主催者が公開されていると不信感を払拭できるのでは?
事前and/or事後告知(事前告知は弾圧につながりうるが)により、身分もはっきりするし、「一般の」在学生も集まって威圧感も下げられそう
→シュプレヒコールが威圧感を増幅している?(詳しくは後述)

・「デモが大学や大学生に要求している内容がわかりにくい」「日本人学生に主張をされてもどうしようもないから困る」
→「デモにより誰に何を求めるか」を明確にしてデモしよう
→声や、看板によって、問題の背景知識や経緯を説明しよう
→この場合シュプレヒコールは避けたほうが看板をちゃんと見てもらえる?

・「署名により個人情報を集める懸念」も存在する

△シュプレヒコールについて

 昨日(24/5/30)のデモに対して集まった反対意見は、その多くがデモをすること自体ではなくシュプレヒコールに対してのものだったのではないか?
・「うるさい」という意見は完全にそう
・「こわい」「威圧感」→これもシュプレヒコールによるものが大きいのでは?
デモ中、スタンディングをしている人々の前を避けて通っていく人が多かった→看板で説明する場合は避けられると見てもらえないので逆効果となる
・「内輪ノリ」のようになる

 ただ、デモをやってる側はシュプレヒコールにより一体感や充足感を得られるし、話題性は格段に上がる
→シュプレヒコールをする/しないの間に、話題性と、悪印象との間のバーターのような関係がある?

◯賛成意見

・声なき声はデモ等の行為をしないと「言葉」として聞かれることがない
・今後授業料上昇など、何か学生に不利益なことがあった時に、「デモ」という方法を取れるようになっておくべき
・問題に対して声を上げたい人や、関心を持つ人を、「デモ」が包摂することができる。

 以下、第二回・第三回については新しい内容のみ付け加えます。

□6/3月 第二回@豊中キャンパス まとめ

◯喫水氏のステートメントに対して:

「政治は感性」という内容は一部正しい。だが、「感性」的なものがすべて「政治」ではない。例えば「うるさい」という反感もまた「感性」であり、その感性のために伝わるはずのメッセージが伝わらない可能性もありうる。

◯デモの効果について

普段ニュースをあまり見ないので、デモを見て「そういえばパレスチナって今どうなっているんだろう」と思った

→デモは「強制的に」意識を問題に向けさせることで「考える機会」を与える効果がある

・そもそも政治に「感性」で参加していいのか?(十分に知識がない気がするのに政治参加していいかわからない)
→そういうものだから別に参加していいのでは

・(学費値上げ反対運動が起こる東大等と比べて)阪大においてそもそも反対運動を起こすべき/支持を集めそうなことってある?
→eラーニング(全学生必修の英語教材)とか?
→eラーニングも広く不評を集めているし、運動を起こせば改善・廃止されるかもしれないが運動は起きていない

□6/4火 第三回@箕面キャンパス まとめ

(外国語学部のみが入るキャンパスである箕面キャンパスで行われたため、特に「外国語学部においての『抗議運動』の立ち位置」について話した)

◯「一般学生」の「デモ」に対するスタンス

・箕面キャンパスでデモが起きている様子を想像できない
→海外について学ぶ外国語学部でも、海外の問題が「海の向こうのこと」という意識が強いのでは
→「死」に対する意識が低い(「死」が身近ではない)から?

・例え静かにデモをしても、結局意識する気がない人には「ノイズ」でしかないのでは?
→「大学は学ぶ場所」であり、「表現をしたり見たりする場」ではないという観念が共有されている
→「ノイズ」から「言葉」にするために、「面白さ」などの工夫が有用?

・デモに参加しない理由
一度参加すると、自分の中の「日常」が壊れるから?
←運動から距離を置くことで自分の中の日常性を守る

◯運動部はどうなのか?

サークルオリエンテーションや、新歓時期に、一部から「迷惑」との声が聞こえるほどの新歓をする運動部の勧誘もまた「ノイズ」なのでは?
→運動部の新歓と「デモ」の違いはどこにあるのか。また、そのような新歓をしている人間の意識や意図を知ることも「デモ」を考える上で有用かもしれない

□個人的な総括

 三回にわたり「デモについて考える会」を行い、個人的に(今後活動を行ったりそれについて考えるにあたりのもの)以下のような結論に至りました。

寄せていただいた文章

 文章寄せていただきありがとうございました。


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