「木陰だめライフ」宣言 初版
※「初版」とつけたのは、本宣言を書いた時、「木陰だめライフ」の年数と私のだめライフについての知識が非常に乏しく、今後改訂されるであろうことが明らかであるからだ。
大学キャンパスに幽霊が出る――木陰だめライフという幽霊である
2024年5月、大阪大学にてにわかに始まった「木陰だめライフ」。その定義と目的をここに簡潔に示す。
「阪大木陰だめライフ」とは?
「だめライフ」
ここで言う「だめライフ」とは、だめライフ東京氏の定義に従い「『だめがだめでいられる場所』を目指す運動」と定義する。そして、私の解釈として、ここでの「だめ」は、怠惰以外にも「変」※1なことをすること、「変」であることも含む。以上である。
ここでの「だめライフ」はこれ以上もこれ以下も意味しないし、これ以外の文献を参照することもない。この定義のみが固定されており、後は個々人がこの定義を元に自由に解釈すればよい。
※1「変」は、一般的にはされない行為、ならない状態を意味する。規範を批判する文脈でのものであり、侮辱の意味はない。
「木陰」
「木陰」とは、「木の上もしくは木のそばに集う」という意味だ。元々は「樹上」――すなわち、木に登り木の上に集うこと――を当てることを考えていたが、木に登れない人、登りたくない人、登れる木がない場所(箕面キャンパス!)など、より多種多様な人や場所を包摂するため「木陰」とした。
「阪大」――自由に自らに付与・除去できる属性/アイデンティティ――
私が阪大生のためほぼほぼ阪大にて活動すること、「アジール」的空間が乏しい阪大にてその復興を望む思いから、私のアカウントは「阪大」を冠し、「阪大木陰だめライフ」としている。
しかし、私は個人行動主義者である。「阪大木陰だめライフ」は決して「サークル」にはならない。あくまで、私が個人で登った木に、みんながそれぞれ自分の主体性により集まるだけだ。「木陰だめライフ」というアイデンティティは、自由に自分に付与したり除去したりしてもらって構わない。
何を目指しているのか?――「変」のプラットフォーム――
自由な「アジール」
私が「木陰だめライフ」により目指すものはただ一つ、「変なこと」をしたいしたい人や見たい人のためのプラットフォームが作られることである。言い換えれば、人々が規範から脱し、心から自由に過ごすことができる「アジール」的空間が生み出されることである。
その昔、阪大には「アジール」という鍋を囲む集会があったらしい。私はそのような空間が再び阪大、さらには全国の大学に現れてほしいのだ。
人々が自由に集い、好きなことをする。芸や音楽を練習・披露してもよいし、何かを話に来てもよいし、抗議スタンディングをしてもらってもよいし、本読みに来てもよいし、寝に来てもよい。普通なら会う機会などない人々が顔を合わせ、語り合う。気兼ねなく自分の主体性のみに従い、やりたいアクションをやる。そのような空間が形成されるきっかけ、あるいは火種を作りたいのだ。
なぜ「木陰」なのか?――「木登り」の空間形成力――
では、その手段としてなぜ私が「木登り」を選んだのか。一つには、「外山合宿」というところで受けた、木登りの先達たる「アマチュア木登研究所」の影響が大きい(詳しくは下の記事で)。その影響により趣味で木登りをしていたら、いつの間にか「木登り」と私の「脱規範」思想が結びついてしまったということだ。
もう一つの理由は、「木登り」は、手軽にできる割に「変」になれることだ。
「割れ窓理論」をご存知だろうか。たった一つでも窓が割れていて放置されていれば、それは「窓を割っても良い=『非行』をしても良い」というメッセージとなり、他の窓も割られ、さらなる「非行」が行われる。そして重大犯罪につながるという理論である。日本の大体の小中高校(あるいは大学でも)の服装なりなんなりの規制の論拠として使われていると思う。
下の記事を読んでもらえばわかるように、規範性アンチ急先鋒の私としては、これは抑圧の理論にしか思えないわけであるが、
「木陰だめライフ」はこの「割れ窓理論」の逆用である。すなわち、「隣に木登りして変な看板をかけている変な人がいるんだから、自分も兼ね兼ねやってみたかったが周囲の視線に遠慮してことをやってみよう」ということだ。言わば「割れ窓」になろうというのがこの活動である。
個人行動主義
先にも述べたが、「阪大木陰だめライフ」はサークルではない(他者が同名同趣旨のサークルを作ることは止めないが)。これは個人が自らに付与するアイデンティティである。
すなわち、「阪大木陰だめライフ」とは、私(もしくはそれを名乗る者)が勝手にそう名乗って木に登っていることだ。その周りに来たいと思った者は「勝手に」来て何かをする(もしくは何もしない)自由がある。
また、これは違う――「これは『だめライフ』ではない」、「これは『木陰だめライフ』ではない」など――と思ったら、他の木で独自の「木陰だめライフ」を行なってもらいたい。心地よければ居る、そうでなければ去っていただければ幸いだ――これは「サークル」ではなく、私個人が勝手に木に登っているだけなのだから。
「木陰だめライフ宣言」本文は以上である。以下は、木陰だめライフを始めるにあたっての私にとっての原体験を語る、単なる余談である。
余談、あるいは原体験たち
なぜ「木陰」なのか?――5月某日の原体験――
「木陰だめライフ」の原点は2024年5月4日、大学祭であるところのいちょう祭の片付け日だった土曜日にある。その日の朝はサークルの片付けがあったが、それは朝のうちに終わり、夜の打ち上げまでいささか時間ができた――その頃すでに木登りはしていた私は、木の上で卒論でも書いて時間を潰そうと思った。
すると、フォロワーが二人ばかり見物に来てくれた。変なやつをちょっと見て、すぐ帰るのかなと思った。しかし、彼らは結局、私が打ち上げ会場に向かうことになる午後5時まで木の下にいた。
フォロワーの一人はB2の知人であったが、もう一人は初対面の方だった。彼はOBの方で、ジャグリングやヨーヨーの達人で、かなりの「変人」だった――口癖は「猫になっちゃうニャ」だった――。彼はジャグリングをしながら、私は木に登りながら、そして最後の一人はそれらを見ながら、様々なことを語らい合った。コロナ禍によりいかに学生の自由が失われたか、これからの人生をどう生きるべきかなど。先にも述べた「その昔、阪大には『アジール』という鍋を囲む集会があったらしい」というのも、この時聞いた話だ。
みんなで昼ご飯を食べ、私はビールをあおっていると、ふと思った。「これって『だめライフ』じゃないか」と。別にどこがどう「だめライフ」だというわけではなく、感覚としてそう思ったのだ。
そして、さらにフォロワーや合宿同期が木の元に集まってきた。
全く接点がなかった人たちが、私の木登りを結節点に集い、語り合ったり、道ゆく人々に「猫になっちゃうニャ」と呼び掛けたり、酒を飲んだりしていた。これが、私の「木陰だめライフ」の原体験だ。願わくば、このような空間をもう一度だけでも作りたいと思っている。
なぜ「個人行動主義」なのか?――部活と宗教――
この「個人行動主義」のルーツは極めて個人的なものである。一つは、集団はとにかく「めんどくさい」からだ。
詳細の紹介は上の記事に譲るが、部活やら宗教やらの苦い経験で「組織」を作る、「組織」に属すことで散々な目に合ったので、「木陰だめライフ」で「サークル」は作りたくない。
もう一つは、「サークル」は閉じていくことだ。弊学には「変」なサークルが数多く存在する。それは結構なことだ。しかし、それらはやがて「閉じて」いく。すなわち、自分たちの「変」だけを許容し、その他の「変」は忌避するようになる(具体例はここでは出せないが)。
「阪大木陰だめライフ」は「閉じ」ない。「ウチ」も「ソト」もない、開かれた場所であり続ける。
さいごに
余談まで読んでいただき感謝に絶えない。私は今(2024年5月時点)B4であるが、修士も阪大に進んで後2年半はここにいて木に登っているつもりなので、阪大のみなさんや大阪に立ち寄ったみなさんは気が向いたら私が登っている木の元に見物しにきてほしい。また、何か阪大で変なこと――パフォーマンスでも抗議活動でも――をしたい人は、よければ「木陰だめライフ」をそのプラットフォームとして使ってほしい。最後に、今のところ阪大では唯一の活動しているだめライフなので、全国のだめライフのみなさん、よかったら交流しましょう。
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