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一流の男性に会った話

「一流の男になりたい」10代の頃から強くそう思っていたが果たして一流の男とはどういう人のことを言うのだろう。

お金があれば一流か。仕事ができれば一流か。きっと一流と呼ばれる人たちはそのどちらも兼ね備えているとは思うがどうもピンとこない。

そんなことを考えている内に実際に一流の人達とふれ合いたいと思うようになった。

「一流の人達が集まる所といえば一流の場所だ」と思い数年前から仕事終わりに職場の近くにある格式の高いホテルのレストランでサービスマンを始めることにした。

そこで見た一流だなと思う人を書いてみたい。

・宴会場で見た素敵なお医者様

その日は宴会場で医師会の催しがあり、自分はまだ板に付かない新人のサービスマンとしてそこにいた。

各テーブルごとに2人、担当のサービスマンが付くのだが私が担当したテーブルはその医師会の会長の方がいるテーブルで終始緊張していたのを覚えている。

1人1人にドリンクのサービスや、タイミングを見て料理の提供をするのだが、医師の方達もお話に夢中になり私たちのサービスなどは特別気に留めているわけではなかった。

そんななか会長と呼ばれる方の席に料理を提供したときに「ありがとう」と声がしてフッと顔を見ると優しい笑顔で私の目を見ていた。

それだけで僕は倍以上、歳の離れているであろうその男性に一気に惹かれた。

それから毎回料理やドリンクを提供するたびにその方だけはお礼を言ってくれた。

他の方たちもとても穏やかで素敵な方ばかりだったがその会長である男性は見た目のかっこよさもさることながら、一際魅力的なものを放っており周りの人たちもその会長の話を食い入るように聞いていた。

それから宴会も終わりとなり、みなさまが席を立ち会場を後にしようとしているときにその会長の男性が僕の近くまできて「今日は気持ちよく食事をさせてくれてありがとう!君はいいサービスマンになるよ」と言われその男性に惚れてしまいそうな感覚になった。
こんな新人の僕に対しても気を遣ってくれたことがとても嬉しかった。

一流の人とはなんなのか、それは富や名誉を手に入れた者に対して言われるものではなく、どのような人でも容れることのできる大きな器を持った人のことを言うのだろう。その心があってこそ、誰にでも優しく、愛することのできる人になるのだろう。

では、その大きな器を心に作るにはどうすればいいのだろう。

それは、きっと人生の良いことも悪いこともすべて身をもって嘗めつくすことでしか作られないのではないかと考える。

一流の人たちはとても魅力的な人が多いが、そういう人たちと接していると目の奥に優しさとどこか哀しさを感じることがある。

自分のなかに閉まっている辛い経験の影がその人の目をそういうものにしているのだろう。
しかし、その反面とても輝いている。

光の部分があれば影の部分もあるのが人間であるが、その影の暗さが一層光の輝きを増す場合もあることを僕は一流の人たちと接して感じることができた。

野暮は揉まれて粋となる。という言葉があるが、自分もこれから人生の荒波に揉まれながらも一流の男を目指し目の色を輝かせていきたい。









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