貧しい人は幸いです(ルカ6:20)
ルカの福音書のこの箇所はクリスチャンの方なら誰もが知っていると思います。
聖書本文にはこうあります。
私はここから、証を書きたいと思います。
私が生まれてからクリスチャンになるまで
私はごく普通の一般家庭で生まれてきました。裕福でも貧乏でもない家です。
幼少期は欲しい物は何でも買ってもらえたし、祖父母からお菓子を毎日もらっていましたし、クリスマスや誕生日はお祝いに外食して、ケーキを家で食べて、プレゼントを毎年もらっていました。新年になると、お年玉をもらったり、本当に普通の家庭でした。
ですが、成長するにつれ、日本の経済状況が悪化し、物価は高くなり、消費税も上がって、家にお金がなくなり、好きな物は買ってもらえなくなりました。ですが、毎月お小遣いをもらって、遊びたいゲームを買えるし、行きたい学校に行かせてもらい、全く不満のない家庭環境でした。
大きな転機が訪れたのは、短期大学に通っている時です。私はその時に、統合失調症を発症し、約1ヶ月間休学し、学費を出してくれた親に迷惑をかけないためにも、なんとか卒業まで、漕ぎ着けました。
しかし、最終学年に就職活動をしなかったため、家で数ヶ月療養していました。
それから、少し元気になった後、元々食べることが好きだったので、家庭内で料理を作ろうと思い、親と相談して晩ごはんを任せられるようになりました。私に晩ごはんの予算を与えられ、余った分は自分の懐に入れてもいいと言われて、お金を稼ぐ力のなかった当時の私はありがたく晩ごはんを作らせてもらいました。
その生活を続けていくうちに福音を伝えられて、救われて、洗礼を受け、クリスチャンとなりました。
ありがたいことに、その時の私はまだ信じてすぐだったので、教会の司祭は献金を求めることなく、かえってお金のない私に聖書とたくさんの信仰書をくださりました。とてもお金がかかったと思います。司祭の愛に感謝します。
クリスチャンになってから結婚するまで
私はクリスチャンになってから、社会復帰を目指し、かかりつけの精神科医の許可もとって、アルバイトとして働き始めました。そこからは少し省略しますが、一年ちょっと働いて症状が悪化し、仕事を辞めざるを得ませんでした。しかし、その間も、私は教会から献金を求められることはなかったし、私自身も献金していませんでした。
そして、また療養生活に入り、実家にいて衣食住は保証されていましたが、お金がなくて何も買うことが出来なくなった時、司祭から障害年金のことを教えられ、早速私は様々な手段を使ってなんとか受給出来るように尽力しました。
それからは、障害年金が受け取れるか不安を抱えながら、神様に祈り、教会で信仰書を用いた学びをする毎日でした。
クリスチャンになってからもそうでしたが、毎週ずっと礼拝に休むことなく出席し、福音を聴き続けていました。
そして、数ヶ月経ち、障害年金が受給されることか決まったという文書が送られた時はとても嬉しくて、すぐに司祭に報告し、司祭は共に喜んでくださり、共に神様に感謝しました。
私が神様に対して大きな感謝の気持ちを抱いてから、司祭から初めて献金の話をされました。それまで、礼拝の説教の中でも、司祭と話す中でも、全く語られてこなかった献金について初めて知り、障害年金を受け取ってから初めて献金をしました。総受給額の十分の一を捧げました。私にとっては少し痛い出費でしたが、そんなことは気にならないほど喜んで捧げました。
そして、今、私と共にいる夫との恋愛に入りました。夫と恋愛している中でも私は教会に献金を続け、司祭の生活を支え続けていました。自慢とか誇りではありません。私は全然力不足だったと思いますが、誰よりも「司祭の生活」を支えていたなと思います。
夫も私と同じ病者で、とても貧しい暮らしをしていて、私は彼を心から支えたいと思っていました。本当に夫がいつ食べられなくなって死ぬか分からないと、夫には生きていてほしいと祈り続けながら、彼を支えてきました。
私は実家に住んでいて衣食住が保証されている生活を送っているのに対し、夫は一人暮らして毎日の食事に困るほどで、一時期は夫が手作りの料理が食べたいだろうと考えて、クール宅急便で、冷凍の、解凍したらすぐに食べられるおかずを作って送っていた頃もありました。
私は夫のことが大好きで、離れたくないと、そろそろ結婚したいという気持ちを夫に伝え、夫もそれに合意してくれて結婚しました。
結婚してからの生活
結婚してからの生活は不安の毎日でした。最初は私の貯金でなんとか食べられていましたが、貯金が底をつく寸前、私は悩んでいました。明日は何を食べようか…そもそも明日の食事はあるのか?
3食を食べられなくなることは覚悟していましたが、貧乏生活が想像を絶するほど辛く、ずっと不安になっていた私を夫は聖言を引用して叱ってくれました。
この言葉を聞かされた時、私は心から悔い改めさせられました。神様が養ってくださるという信頼を持てなかった私。しかし、夫は私が食べられないことを心配してくれていて、夫が私に対する気持ちを伝えてくれた時はとても嬉しかったです。ああ、夫婦ってこうやってお互いを支え合うんだと教えられました。
夫から聞いた話があります。
ある教会の牧師夫婦が貧乏のゆえに食べられる物がなくなって、夫の牧師が奥さんである牧師夫人に言いました。
「食べる物がありませんね」
牧師夫人は答えました。
「そうですね」
牧師は言いました。
「このままでは生きていけませんね」
「そうですね」
「死ぬ時は一緒ですね」
「そうですね」
これだけの話ですが、私はこの話にとても感動し、この夫婦のように信仰で繋がる夫婦になりたいと願いました。
貧しい人は幸いです
私は結婚して貧乏になり、教会に献金をすることが出来なくなり、好きな物も買えなくなりました。新しい服も一年以上一切買っていません。
ですが、他の人たちやキリストにある兄弟姉妹に生活を支えられています。
1日3食を食べるのも大変な生活ですが、そのおかげで礼拝と祈りに集中出来るようになり、礼拝の中の聖餐式の大切さを知りました。
なぜなら、コップ一杯のぶどうジュースと、手のひらほどの種無しパンがとても美味しいからです。
ですので、私は結婚してからの貧乏生活という名の断食生活の中でとても大きな神の愛を知りました。
それは、神様は私たちのような小さな者にも心を留めて、養ってくださるということ、本当に必要な物、生きるための糧と霊の糧を与えてくださるということです。
聖餐式はキリストの血とからだに与って、主イエス・キリストと一つになることであり、同時に主の食卓に与ることであることに感動しました。聖餐式は欠かしてはいけない秘跡=聖礼典です。
貧しい人は神の愛を知ることが出来ます。神の養いをその身で体験することが出来ます。
だから、イエス様に縋って頼ることしか出来ないから、神を愛し、信仰を堅く保つことが出来ます。
最後に伝えたいこと
私はSNSの中で、所属教会、せめて所属している教団・教派名を出さずに、献身者でもないのに、聖書を私的解釈し、上から目線で語っている人を度々見かけてきました。私はそのような人たちに危機感を覚えています。
なぜなら、そのような人たちについていく人がかなり多かったからです。
プロテスタントの聖書のみ、宗教改革者たちの伝統は果たして匿名で自由気ままに伝えられてきたものでしょうか?
平和な時代に生きている私たちとは違って、ルターやカルヴァンなどの宗教改革者たちは命を賭けて信仰生活を送っていたのに、実名で主張を続けていました。
私はやはり、宗教改革者たちの信仰・生き方を模範として生きたいと思います。
聖書を私的解釈する彼らは断言形で語っているので、一見真理を語っているように思えるかもしれません。
しかし、実際のところどうですか?彼らの言葉からキリストの愛を感じますか?彼らはキリストの愛に基づいた福音を語っていますか?
福音とはグッドニュース、良き知らせ、私たちにとって滅びではなく、救いの言葉です。
聖書を私的解釈して語る人たちにも、今、伝道の働きをしている人にも聞きたい。
「あなたは『貧しい人は幸いです』という聖言から福音を語れますか?」
これは、実際に貧しさを経験したことのある人にしか語れません。
私の所属する教会の司祭は献身した時、服と、本と、職と、家を捨てて献身しました。
神に仕えるために全てを捨てるとはこういうことです。
衣食住が保証された生活の中で福音が語れるでしょうか。イエス様は金持ちの青年に言いました。
私は貧しい暮らしをして初めて、衣食住を保っていくことの難しさ・私自身の無力さを知りました。
どうか、貧しい人を愛されたイエス様の福音が苦しんでいる全ての人に届いてほしい。
そう願ってやみません。
福音の働きには貧しい人がどこででも顧みられます。
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