大酒飲みのイエス様は嘲笑されていたのか
ちょっと面白いツイートを見たので、この話題を今日はメインで書こうと思いました。
ツイートの内容をまとめると以下になります。
「大食漢で大酒飲み」の解釈について
この人の発言の何が問題かというと、大酒飲みのイエス様が嘲笑の対象だったと捉え、酒飲みの神父の発言を解釈が間違っているというところです。
聖書には、該当箇所のことがこのように書かれています。
この箇所、どこを読んでもイエス様が嘲笑されていたとは書かれていないし、むしろ、イエス様に対する悪評を広めるために人々(律法学者やパリサイ人)が言い広めた悪口のように思えます。「見ろ、あの奇跡を起こし、教えを広めるイエスは罪人と同じように大食漢で大酒飲みだ」といったように。
そして、この言葉はイエス様ご自身の言葉であり、その前の箇所と比較してイエス様が罪人の仲間だという声に反論しています。
実は、この聖言はバプテスマのヨハネの悪評と比較してのイエス様ご自身の発言だったのです。これのどこが嘲笑でしょうか?
イエス様が大酒飲みと判明したノンクリスチャンの反応
前述したツイートのまとめの中に、ノンクリスチャンが「えっそうなの?」と意外だったような反応をしていますね。私も初めて聖書のこの箇所を読んだ時はそうでした。その時はイエス様に親近感が湧いたのを覚えています。
ノンクリスチャンは大抵、キリスト教に対して禁欲主義的なイメージを抱いています。(私もそうでした)
ですから、イエス様の世俗的なお姿というのは意外というほかないのです。
若いノンクリスチャンに伝道している現場に立ち会いましたが、やはり、イエス様の親近感溢れる人間的な姿を教えると、その方はとてもイエス様に興味を持っていました。
ノンクリスチャンへの伝道として、そのような人間的なイエス様像というのは必要になることがあります。
その証拠に先に書いたノンクリスチャンの家族は興味を持っているような反応ですね。
ですから、一見正しいように思える聖書解釈がその人にあったとしても、文脈上イエス様は嘲笑されているのではないことが、はっきりしているので、それをあたかも正しい聖書解釈のように、他の人に言い広めたりすることや、ノンクリスチャンが好奇心を持つほどのイエス様の豪胆さを伝えないことは伝道や福音を伝えることになりません。
酒飲みの方々
先の神父の話をしますが、神父をやっていくためには毎回のミサでの聖体拝領で、ワインを信徒たちの代わりに飲まなければなりません。
これの意味するところは、神父は酒飲みでないとやってられないということです。仮に下戸の方が神父をしていたら大変でしょうね。
他にもキリスト教には酒飲みの方がいます。
それは、宗教改革の第一人者、マルティン・ルターです!!
彼は大のビール好きで、このような言葉を残しています。
まとめ
ですから、イエス様は別に嘲笑されていたわけではないし、むしろ、イエス様がこのように食欲旺盛でお酒が大好きなところはとても良いところだと思いませんか?
神の子としてのイエス様も、もちろん私たちには必要ですが、人間としてのイエス様も私たちと距離を縮めるために必要不可欠なのです。
自分の聖書解釈が絶対!ではなく、よく聖書を読み込んで文脈や時代背景もハッキリさせた上で、イエス様を伝えていきたいものです。
他にもイエス様のことを好きになる箇所はいっぱいありますが、これを機に主イエスのことを知り尽くしましょう❣️
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