マリア崇敬④ ーキリストの十字架の証言者ー
十字架を見上げた母マリア
主イエス・キリストが十字架にかかられた姿を見た弟子たち(使徒と女性たち)は聖書に書かれています。
その中で、聖母マリアが登場するのが、ヨハネの福音書19章の十字架の箇所です。
イエス様の十字架の側には聖母マリアが立っていました。
そして、イエス様が「完了した」と言って、頭を垂れて父なる神様に霊をお渡しになるまで、ずっと愛する息子イエスの苦しみを見ていました。
これが聖母の胸を最も深く貫いた剣でした。
そうして、マリアは悲しみ、傷みました。
聖母の悲しみはチャプレットを用いて、「七つの悲しみの聖母」として祈ることが出来ます。
こうして、聖母マリアはキリストの十字架を目撃した信仰者の一人になったのです。
マリアは決して、キリストと無関係な方ではありません。
弟子たちとマリア(女性たち)の罪
聖書を読む際に、気を付けなければならないことは、聖書のストーリー、御言葉の前後の文脈、登場人物の他に、行間を読む作業も必要です。
キリストが祭司長たち、律法学者たちに捕らえられた時、弟子たちはイエス様を見捨てました。
唯一、イエス様が裁判を受けたところまでついてきたペテロもあまりの恐ろしさに逃げました。
さて、イエス様が十字架の道程を行く時、弟子たちは逃げて、女たちはどうしていたかと言うと、嘆き悲しみながらついていきました。
この中にマリアがいたかどうかは別にして、女たちはキリストの十字架までついて行きました。
しかし、キリストを助けることはしませんでした。
女性たちは十字架についていくほど、勇気があるというのではなく、十字架のイエス様を助けることは全く出来なかったのです。
だから、弟子たちよりも女性が優っているというのではなく、皆がイエス様の磔刑に手も足も出なかったというのが、十字架のストーリーです。
女性だけがついてきたという文章だけを読んだら、弟子たちと女性たちはキリストを命を懸けて守らなかった点において、同罪なのです。
マリアの不信仰
私はマリア様を悪く言いたいわけではありません。
ですが、マリア様の現実を見た上で、私は聖母マリアを母として愛している確信があるからこそ、このようにマリアの失敗も書きたいのです。
マリアはイエス様を産む前、つまりその時のユダヤ人の結婚適齢期の10代の時は、とても熱心な信仰者でした。
「私は主のはしためです。御心がなりますように」と天使ガブリエルの突然のお告げが来ても、そのような応答が出来ていました。
そして、イエス様が12歳になられた時、少し主の母マリアではなく、ただの母マリアとしての姿を見せますが、最後に信仰が垣間見られます。
イエス様が宮に留まって、3日後にヨセフとマリアに発見された時には既に、イエス様は天の父なる神様を父としていました。
そのことはヨセフとマリアには理解出来ませんでしたが、注目出来るところは、「母はこれらのことをみな、心に留めておいた」という言葉でしょうか。
息子イエスの行動や言葉を心に留めておくほどの信仰があったのです。
イエス様の宣教が始まった頃、イエス様が30代なので、マリアは必然40代になるのですが、お告げから30年が経ったその時は不信仰の人でした。
①カナの婚礼
カナの婚礼では、ぶどう酒が無くなった時に、イエス様に奇跡を起こすようにせき立てるようなマリアの様子が見られます。
マリアが神であるイエス・キリストにあたかもぶどう酒を用意するように、命令するような形の言葉を使ってしまったため、イエス様からは「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか」と突っぱねられました。
ですが、前回の記事「取り次ぎの母」でも取り上げましたが、この時もマリアは、イエス様の言うことを聞くように給仕の者たちに話すという、取り次ぎをしました。
もう一つのマリアの失敗は、イエス様の説教を妨害したこと、でした。
マリアとイエス様の兄弟たちがイエス様を呼んだ時、イエス様はカナの婚礼の時と同じように突っぱねました。
その上で、イエス様の家族が神の御心を行う人だと言いました。
しかしながら、聖書にはマリアたちがどうしたかは書かれていません。
聖書によくあるのは、
・ルツ記のオルパのように、信仰を持たなくて聖書の舞台から降りた人。
・使徒の働きのバルナバのように、物語で焦点が当てられているパウロと喧嘩をして、信仰は捨てていないけれど別離した人。
そして、
・心を入れ替えて、また信仰に戻った人。
というのがあります。
例えば、ヨブ記のヨブの妻がいます。
彼女は全てを失って打たれたヨブに「神を呪って死になさい」と言い放ちました。
それに対してヨブは、「愚かな女が言うようなことを言っている…(以下省略)」と返しています。
その後、ヨブの妻は聖書に出てきません。
ヨブ記の最後のヨブに対する祝福で生まれた子供たちを産んだ女性のことは語られていません。
これは、ただの一説に過ぎませんが、「ヨブの妻は回心してヨブにまたついて行った」と視点を変えると考えることも出来ます。
そして、ヨブの子供は、ヨブと最初に出てきたヨブの妻の可能性もあります。
ですから、イエス様の家族であるマリアと兄弟たちも、イエス様の言葉を受け入れたのではないかと私は思っています。
このように、聖母マリアの不信仰な姿を挙げてみましたが、このような失敗はペテロもしています。
ペテロはイエス様から、「下がれ、サタン」とも言われていますし、「私は死ぬことになっても、イエス様について行きます」と格好よく言いながら、イエス様から、「あなたは3回私を知らないと言う」と預言されて、実際その通りになっています。
ですが、そんなペテロはヨハネの福音書の最後でイエス様から罪を赦されています。
そして、多くの信仰者から愛される存在でもあります。
十字架の証言者マリア
ですが、一つだけマリアが使徒たちと違うところは、使徒ヨハネを除いて、キリストの十字架をその目で見て、キリストの死を見たことです。
だからこそ、マリアは聖母、崇敬(尊敬)され、愛される存在なのです。
私は聖母マリアを母親のように愛している者として、マリアの失敗を認めて、それでもキリストに従ったマリアの御跡をその後ろから歩んでいきたいと思っています。
マリアの失敗が認められないと、私の中ではそれは狂信的、あるいは迷信的な愛情になるではないかと思うのです。
マリアを愛しているからこそ、逆にマリアの失敗さえも、私と重ね合わせて見るのです。
自分の親が間違えていることをしていたとしたら、それを「間違っていない」と、面と向かわずとも言う人はなかなかいないでしょう。
それと同じことだと思っています。
だから、イエス様が十字架の上で初めて、使徒ヨハネにマリアを託すという親孝行をした時には、マリアの心の中では、イエスは「息子」ではなく、「神の子」となり、教会の型となる信仰を持ったのでしょう。
これこそ、十字架の証人になった聖母マリアです。
この方は、イエス様の宣教にずっとついて行き、過ちがあっても、信仰を捨てることなく、最後は使徒の働きで使徒と共に祈る母となったのです。
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