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カタカナ、漢字と仲良く

私は昔から思想が強いので、ひらがなと必要最低限の漢字しか認めていない。
ぷくぷくとかをプクプクと書くタイプはあまり好ましくないし、カタカナだと柔らかみに欠ける。だって私は、人生を通して柔らかなぬるい人をやっていきたいから。
一度だけインターネットの人に、ひらがなしか認めていない話をしたら、大層面白がってくれた。その人とはお話しした次の日にブロ解されてしまったけど。彼は元気にしているのかしら。その彼の面白がってくれた感性を信じてこうやって筆を取っている。
元々私は、漢字テストを受けさせられるあの頃、小学校中学年あたりから、漢字テストの追試メンバーに入れられている。それから固定メンバーになるまでの時間は要さずに、今まで生きている。
とにかく漢字がわからない。漢字のつくりから雰囲気を読み取ることは可能でも、読めはしないのだった。
漢字を多用する文章は、なんだか難しそうだし、スマホ持ちたてほやほやの代に受け入れられなさそう。私は元々児童作家になるのが夢だったから、どの年代が読んでもニコニコできる文章を目指している。
それには読みやすさと私特有の癖が必要となってくる。読みやすさポイントで言うなら、6/10くらいなんだろうと思う。これでもかなり謙虚な方だ。己の文章を読み返すのも、良い文章だと翌日推敲するのも、毎度新鮮に「ええ文章書くなぁこの人」と思っている。ここだけの話だが。
カタカナはシンプルに読めない。パッと出されて、スムーズに読めない。海外小説に手を出していないのも、人の名前の分別を字数でしか認識できないからだ。クリスチャーノとクリスタートが出てきたら字数は違っても頭の文字がざっくり同じなので気が狂いそうになる。序盤の方では、「ャ」があるか無いかで見分けられるが、話がおもろくなってきて、それどころじゃない時は片方の命を落とさせる他、手立てがない。
とはいえ、日本文学で登場人物が大量に出てくる本は全く問題がないのだった。私の読んできた中で1番多かった、「ぼくらのシリーズ」作・宗田理だって、個性の塊みたいなキャラクターが初期の段階で10人ほど出てくる。学園ものなので、先生まで巻き込んで、挙げ句の果てに恋仲にまで発展する中々の喧しぶりだが、宗田先生の書き分けが鮮やかでキャラ暗記に苦しむことはなかった。こういうのを読むたびに母語が日本語で良かったと思う。
皆さんの激ヤバキャラ数デュエル、お待ちしております。

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