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「リーズナブルで美味しい」という感想から僕が考えたこと【適正価格と「タダも同然」というマインド】

「リーズナブルで美味しい」

 テレビ番組で取材を受ける人々からよく聞く発言です。

「リーズナブル【reasonable】」の意味はもともと「理にかなっていて納得できるさま。妥当なさま。」であって、けっして「安い。安価。」という意味ではありません。

もちろん、日本語は生き物ですので、言葉の用法が時代とともに少しずつ変化していく例は枚挙にいとまがありません。「リーズナブル」もまた誤用が正用に変化している過程を目撃しているに過ぎないかもしれません。
 というか、すでに「リーズナブル=安い」は正用であって、これを誤用と認識している僕の頭が硬いかもしれませんが、ここであえて「リーズナブル=妥当」について深めていきたいと思います。

 妥当な価格、つまり「適正価格」とはどのようなものか。
 経営者視点と消費者視点で僕の考えていることをまとめていきます。


【経営者視点】経営者として考える「リーズナブルで美味しい」

 物を製造し販売している立場からすると「リーズナブル=安価」と捉えられてしまうことは商売の障壁となります。ワンコインランチと一杯1200円のラーメンがあったとして、「リーズナブル」なのはワンコインランチであり、昼食に選ばれるのはワンコインランチになってしまいます。
 商品の味で勝負しようにも、価格が高い時点で勝負の土俵に上がれなくなってしまうのです。

 土俵に上がっているワンコインランチの中において競争が起きるでしょうが、そこでは味をよくするにも価格を上げられないジレンマが起きることでしょう。価格転嫁できない分はどこかに皺寄せが及びます。まず考えられるのが人件費の削減。人が必要数より減ればオペレーションは厳しくなり、サービスの質は低下します。安さを維持できても顧客への対応が疎かになれば離れてしまう、ということが考えられます。

「リーズナブル=安価」で考えた場合の「リーズナブルで美味しい」が辿る未来は持続可能とは言えないと思っています。

 では、「リーズナブル=適正価格」と考えた場合はどうでしょう。
 食材にこだわり、調理にこだわる。そして、人件費をしっかり払っているので従業員は報酬に対して不満がない、という環境を作るために一杯1200円のラーメンを提供しているとします。一杯1200円のラーメンが高いか安いかはともかく、そのラーメンを注文する人は、価格に納得しているはずです。1200円を払う価値がある、そう思っているはずです。

 商売とは「顧客に、お金を払ってもらってもいいと思わせる価値がある商品作りをしなければならない」のです。

【消費者視点】いいものにお金を出す経験が自分を豊かにする

 経営者として理想がある一方で、消費者の立場からすると、身の回りのすべてを価値があり、質がよく、こだわりの品で揃えることはできません。スーパーマーケットで半額のシールが貼られているお惣菜があれば書いますし、ポイントの倍率を気にして購入日を考えることもあります。日々の家計を考えると、どこかを安く抑えることが必要になります。

 ただ、安く抑えることを目的にして安さにこだわることはしたくないと、僕は思っています。
 目的なく節制をするのではなく、目的を持って節制をする、ということです。
 目標金額を定めて、普段は手の届かない高価な物を購入するために、節制できるところはしていく。
 高いものを買うのは「損をしている」ことにはならないと思うのです。

 僕は趣味のものを時々は奮発して、高価であっても購入することがあります。
 大学生のころ、バイトで貯めたお金でオーダーグローブを買ったことがあります。ミズノの中でも「ミズノプロ」というシリーズで、価格は6万円ほど。高いです。高いですが、僕はそれで損をしたとは考えていません。徳をしたと思っています。質がいいのはもちろん、自分で決めた色と形状、縫合の仕方に満足しているのもあります。年に3回しか使用しないうえ、ソフトボール用に大きく作られたグローブで用途が限られるのですが、手を入れるたびに新鮮な高揚感を与えてくれるので、グローブを買ったというだけなのに、買う前よりもソフトボールが好きになっているくらいです。
 6万円を「安い買い物だった」とはまったく思えないですが、価格に疑問を持ってはいないのです。

 ソフトボールを上手くなりたい、今後も楽しくプレーしたい、そんな僕の望みを叶えてくれる買い物です。
 納得してお金を使うことは自分を豊かにしてくれます。

【経営者視点】「タダも同然」と言うときのマインド

最後に「リーズナブル=適正価格」の発展系について考えます。

「タダも同然ですね」

 TBSラジオ「アフター6ジャンクション」においてパーソナリティのRHYMESTER宇多丸さんがよく口にする言葉です。
 音楽や本、映画など紹介するカルチャーキュレーション番組内でこの言葉が使われる意味とは「そのコンテンツには、価格以上の価値がある」ということであり、「価格が価値に見合っていない」ことを意味しています。もっと大袈裟に言うと「安すぎるからもっと払わせてくれ(本当に払うとは言ってない)」みたいな感覚でしょうか。
 もちろん、ここで改めていうまでもなく、これはちょっとしたお遊びの要素を多分に含んでいます。お金を払っている時点で「タダ」ではないですから。
 

消費者の複雑な内面をお茶目に表している「タダも同然」というマインド。
 僕はこのマインドを持てる商品・コンテンツが持続的に展開していくヒントになるのでは、と思っています。
 商品を買うとき、価格が購買行動の障壁になるのだとすれば「タダも同然」と思う顧客がお店についてくれることはとても大きいですから。

 では、リピーターをつけるための戦略をどうしていくのか。これについては引き続き考えていきたいです。

 




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