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差別とか区別とか障害とかの話の時に思い出すこと

凸凹の息子をみていると
他の人と違うところがあるといろいろ苦労もあるよなぁ
比べて違うと指摘されたり自分で気にしたり
私が気になったり
本人が気にしてないなら大丈夫な時もあるし
周りが過剰に反応したり 
して欲しくない事を気を回したつもりでしてしまう事もある

そんな時にいつも思い出すのは
私が写真を撮る仕事をしてた時の事
とあるパーティーでスピーチをする人の写真を撮りました
いつも通り 数人のスピーチしてる人を順番に撮る
正面からと横からのバストアップの写真を縦横撮るのがいつものやり方

終わってから
仕事先の人が写真をチェックするのですが
注意を受けました

「こんな写真だれがみたいんだ!」


と言われてものすごくびっくりした

それは目の不自由な人のスピーチ写真でした
その人は特にサングラスなどもかけてなくて
彼女の意思とは関係なく
黒目が横に動いてしまったり白目になってしまったりするようでした
私はそうなんだなーと思って
他の人と同じように撮りましたが
上司は とても怒っていて
「気持ち悪い」だの「後ろ姿だけでいい」だの
言ってました

でも、そのパーティーの主催者は彼女の事をよく知ってて
彼女にスピーチをして欲しいと思って頼んだはず
それなのに 彼女の事を何も知らない私が
彼女の顔を避けて写真を撮ったらどう思うだろう
彼女はその写真がもちろん見えないから
知らないだろうけど
主催者は傷つくんじゃないだろうか
大事な人がわざと顔を避けて撮られていたら
それを配慮と言われて
いい事をしたように見せられたら

勝手に彼女の価値を決めている
それは差別じゃないのか?
と初めて強く強く思った事でした

22、3歳だった私は 強く言い返す事も出来ず
「あ、はぁ。」みたいな感じで返事はしたけど
謝りたくないとは思ってた

撮った写真をアルバムとか冊子にする時に
その写真を載せるか載せないかは
主催者が決める事
私は写真を撮るまでが仕事だったから
その後の主催者の気持ちはわからないけれど

そんな考え方の人がいるんだ
その人にとって価値がなかったら
そういう扱いを受ける事があるんだと
社会に出たばかりの私には
とてもショックな出来事だった

その時に自分の意見をきちんと言えなかった事を
後悔して 思い出すたびに悔しい気持ちがあったけど
あの人には
通じない事だったのかもしれないと思う

いろんな人がいて
いろんな考え方があって

というのがいまの世の中のほうが
大切にされてると思う
子どもたちを見てると
とくにそう思う 男の子も女の子も仲良くて
ぬいぐるみが好きな男の子もいるし
ショートカットで絶対にスカートはかない女の子もいる
昔もいたけど
触れないようにするか、からかわれるか
「変わってるからね」と認識されてた

でもいまは子どもたちの中では話題にすらならない

いろんな考えがあって
目まぐるしく価値観も変わっていく気がする
良い価値観について行けてるのか
凝り固まってないのか
逆に大切な価値観を流行りにながされて
失ってないか
このエピソードを思い出すたびに
考えることにしてる

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