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タイミングの合理性

ギリシャ語には時間を表現する言葉が2つあるらしい。
一つは、クロノス。
一般的に言う時間の事で、時計が刻む客観的時間。
もう一つは、カイロス。
個々で違いがあり、楽しい時と退屈な時で時間が伸び縮みするような、主観的、感覚的時間。

この間偶然みたYouTube動画で生活支援をしている方が、
問題を抱えて社会生活に入っていけない人に支援者ができることは支えることだけで、本人の意識を変え行動を起こさせることはできない。
本人が行動する時は、本人自身が変わる時でしかなく、それは待つしかない。
その時は、明日かも、何年も先かもしれないし、一生訪れないかもしれない。
社会生活の中で、物事を合理的に進めるために決められている時間はクロノス。
人が変わって行動を起こす時のことをカイロス。
この二つは折り合わないものだ。というような話をしていた。

今朝のこと。
目が覚めて思い立ち、ずっと放置していた台所の換気扇の掃除を午前中にやってのけた。
こんな風に、ずっと出来なかったことにいとも簡単に取り掛かれる瞬間がごく稀に訪れる。
まあ、換気扇の掃除なんかは大したことでもないんだけれど。
人生のターニングポイントになるような一歩を踏み出す時や、何年もこだわっていたことを捨てる、拒絶していた事を受け入れようと思う瞬間。
その変化は、完全に個人的な世界にある要素だけで起こるのではなく、個人的な世界の外に何かを見つけて反応し変化するのだと思う。
外部からの押し付けでない何か。
ただ、合理的に考えて時間に限界があることの場合は、クロノス的時間がカイロス的時間に作用すると言うこともあると思うが、その場合は時間としての時間というより、きっかけとして作用する時間なのだと思う。

行動を起こそうとする時、今はお金がないから、時間がないから、まだ能力が十分でないから準備できた時にしようと後回しにする。
いつ来るか分からない希少なそのタイミングを、合理的に行おうとして客観的な時間に押し込めようとして失ってしまう機会って沢山あるんじゃないか?

クロノス的時間とカイロス的時間に折り合いがつくことは本当に稀。
いや、ほとんどないと思っていた方がいいのかもしれない。
合理性を考えたらいつだって何だってタイミングは悪い。
準備なんかできてない時にその時はやってくる。


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