見出し画像

本山派修験寺院宝泉寺の動向と境内地の景観

はじめに

本山派修験寺院宝泉寺は、埼玉県狭山市入曽に所在した。現在は別当を務めた野々宮神社が鎮座して住職だった宮崎家が神職を務める。
宝泉寺は、狭山市笹井の本山派先達修験寺院笹井観音堂の配下寺院であった。
配下寺院から上官寺院を検討することで霞支配の様相をうかがえることもある。
筆者は『埼玉史談』で同じ配下寺院で狭山市下奥富に所在した本山派修験寺院東林寺住職東林寺教純の系譜と動向を検討しながらも笹井観音堂における位置づけを試みた。
自治体史では、笹井観音堂配下寺院の史料・所蔵物の掲載はあるものの具体的な動向を調査研究した内容は限られる。
狭山市立博物館による笹井観音堂と配下寺院を取り上げた企画展、日高市に所在する高麗神社の別当を務めた本山派修験寺院大宮寺(笹井観音堂配下寺院)の史料集が高麗神社社務所から刊行、具体的な動向が紹介されたぐらいである。
筆者は、近年、笹井観音堂の配下寺院の視点から霞支配の実像解明を試みており取材、史料実見を重ねている。
ありがたいことに調査先で熱心なご教示を賜り、修験寺院住職の系譜、動向など一部でも明らかにできたケースが増えて文章化に繋がっている。
反面、記録に残しておかないと情報が消えてしまう危機感も持っている。
本稿で取り上げる宝泉寺の事も地域の方々が記録してくれたので文章化できた。
入曽地区の取材、史料から宝泉寺の動向を一部ながら明らかにするのが本稿の趣旨である。
ご教示いただいた入曽地区の清水政美氏、常泉寺住職市川隆也氏、野々宮神社の宮崎氏に御礼申し上げたい。

(1)本山派修験寺院宝泉寺境内地の景観

宝泉寺は、『新編武蔵風土記稿』によると以下のように記述される。
「愛宕社
天王社
以上二社は常泉寺持
稲荷社
野々宮明神社
以上二社は修験寶泉寺の持なり。
伊勢宮
稲荷社
以上二社は村民の持」

常泉寺と宝泉寺の記述がある。常泉寺は、真言宗寺院であり、元は、「七曲の井」地点にあった。現在でも常泉寺観音堂が所在する。
住職の市川氏によると「寺名は、「七曲の井」に由来して常泉寺と名付け井戸の管理にも携わった」とご教示いただいた。
宝泉寺と常泉寺の境内地は隣接しており宝泉寺の由来も「七曲の井」に求められると言って良い。
2寺院の由来にもなった「七曲の井」は、多摩川扇状地に位置して直接、川からの取水も難しい狭山市周辺にとっては人々の飲料水を確保する重要な井戸であった。

七曲の井(狭山市入曽)

井戸の価値を高めたのは交通の利便にもあった。所沢市泉町を分岐点として狭山市を縦断する「鎌倉街道上道入間川道」が通るからだ。
入間川道が「七曲の井」前を通り現在でも交通の要所となる。

鎌倉街道上道入間川道(狭山市と日高市の境界)

宝泉寺は、「七曲の井」・「鎌倉街道上道入間川道」といった交通の要衝に所在した修験寺院であった。しかし、境内地のある環境を寺院運営にどう活かしたのかなど同寺院の動向は、ほとんどが不明である。次の項目では、断片的ながら寺院の史料紹介、動向、住職の系譜を整理しながら実像を検討していく。

ここから先は

2,884字 / 7画像

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

いただいたサポートは取材、資料購入費用に当てます。