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【日記】きんぎょ、すぐ死ぬ

 金魚まじですぐ死ぬ。

 今年の目標は新しいことを始めないことだったのだが、素敵なステンドグラスを手に入れて浮かれてしまった。
 これに合うオブジェがほしいと思った私は水槽を買い、金魚をドボンと入れた。2ヶ月前の出来事だ。

 金魚は小学生が飼うものだと思っていた。思えば学生時代に飼っていた金魚はお祭りで取ってきた和金もしくは出目金で、エサのパッケージに書かれた琉金が家にいたことはなかった。

「てこてこ」と水中を泳ぐひし形の金魚こと琉金はとんでもなくかわいい。しっぽを振ってじゃれついてくる小型犬を想起させる。
 赤くて丸くて黒目の大きな金魚だった。
 ペットショップでそのかわいさを目の当たりにした私は琉金に一目惚れし、水槽のみならずヒーターやフィルターや水温計を買い込んだ。寿命は4年から10年とのことなので、絶対に大きく立派な魚を育てると決めた。

 買ってから2ヶ月で琉金が死んだ。

 飼い始めて1週間で白点病という病気になった。尾びれについた寄生虫が白い点々に見えるから白点病というらしい。素人知識で塩浴や薬浴を施した。

 塩浴は金魚の体と周りの水の塩分濃度を同じくらいに調整することで、金魚に入り込む水の量を減らし、無駄なエネルギーを使わせないようにする治療法の1つだ。
 金魚は淡水魚だが、体液には塩気がある。金魚の血中塩分濃度は0.6〜0.8%と言われている。水は塩分濃度の高いところに移動しようとするので、塩気のある金魚目がけて水が入り込むらしい。
 淡水魚は尿などで体に入り込んだ水を排出しているが、その排泄には当然エネルギーを使う。

 水中の塩分濃度が0.3〜0.5%になるよう塩を溶かす。
 最初は「淡水魚に塩!?」と慄いたが、この治療には驚くほど効果がある。塩浴という道を見つけた人間を敬服する。

 治療中、仕事中も帰宅したら死んでいるかもしれない金魚のことを思い、気が気じゃなかった。
 金魚も肩で息をすることを知った。エラが大きく広がっては勢いよく閉じる。体長3cmの小さな命が必死に呼吸をしていた。

 ある日、白点病が治った。

 物陰に隠れ、目を合わせようとしなかった金魚が姿を表し、水面に顔をのぞかせエサをねだってきた。小さな胸びれをちょこちょこ動かして、私がいる場所を目がけて泳いできた。

 なんだこの生きもの! かわいすぎる!

 金魚は飼い始めて1週間が勝負らしいので、病気を克服したこの子に向かうところ敵なしと舞い上がった。全身のひれをぺたんと寝かせていた丸くなっていた金魚が、水中を泳ぎ回った。
 水草をつつき、水温計にケンカを売り、シャワーパイプから落ちる水流に逆らって尾びれを振った。

 飼い始めて1ヶ月半が経った。
 突然、金魚が背びれをたたんだ。

 背びれは金魚のバロメーターだ。体のどこかしらが悪いと金魚は背びれをたたむらしい。
 前回は白い点が尾びれにびっしりついていたのに、今回はどこが悪いのかてんで見当がつかなかった。

 背びれがたたまれているところ以外、金魚の体に異変がなかった。
 内出血をしてしまう赤斑病やウロコが松ぼっくりのように広がる松かさ病など、素人なりに得た知識と照らし合わせては首をひねった。
 金魚は自分の不調などつゆ知らずエサをねだってきた。かわいかった。

 金魚の死因の1つに「エサのあげすぎ」が挙げられていたので、念のためエサの量は減らした。1日2粒ほどしか与えないでおいた。

 ある朝のこと。

 アラームが鳴ったので目を覚まし、水槽に目をやるとぷりぷりしたおしりの金魚がガリガリに痩せていた。つやつやしていたうろこは、8bitドットみたいにガビガビだったし、尾びれがギザギザになっていた。

 様子を見るためにプラスチックケースで掬うと、そのときに起きた水流で金魚はひっくり返った。片ひれの筋肉はもう動いてなかった。生きながら、体が硬直し始めていた。その夜に金魚は死んだ。

 今思うと消化不良から転じてエラ病に罹患していた。お腹を壊していたので食べても体に栄養が渡らず体調を崩し、カゼ気味になっていたところに常在菌が入り込んだのだと思う。立て続けに病気に罹る事実に唖然とした。

 初めて自分の給料で買ったペットは、ほんの2ヶ月で天に行ってしまった。人間の葬式以上に涙が溢れて慄いた。私めっちゃ金魚のこと好きじゃん。

しかし、私も社会人。ここで折れてたまるか。
 改善策などいくらでもある。私の飼育方法が悪かったのなら、前よりよくすればいい。
 過去を引きずってよかったことなど1つもないので、地面が割れるほど泣いた翌々日には新しい子を買っていた。

 新しい金魚がいたペットショップの水槽ではいじめが起きていた。体躯のでかい金魚がやたら他の子を追いかけ回し、いじめられた金魚が憂さ晴らしにまた他の子をつついて悪循環が起きているようだった。

 ただ、近所にあるペットショップの中では群を抜いて管理がよかった。金魚が勝手に水槽内ヒエラルキーを築いただけで、ペットショップに非はなかった。
 前の金魚を買ったペットショップは人手が足りていないのか、生体の管理が少しずさんだった。売られながら病気に罹っている子もいた。初めてペットを飼ってから2ヶ月である程度の判断がつくようになった。おもしろい変化だった。

 新しい金魚は他の子に少しつつかれていたが、うまく人目ならぬ金魚目をすり抜けて飄々と泳いでいた。
 背びれと胸びれの一部が黒ずんでいた。金魚はストレスや水質の変化で黒く変色することがあるらしい。金魚か疲れているのは確かだった。

 ただ、人に寄ってくる余裕があるのと、前の子と模様が被っていないのと、なにより見た目が好みだったのとで連れて帰ってきた。

 前の金魚は水温合わせこそしたが、いきなり本水槽に入れて失敗した。
 買ってきた金魚にはトリートメントが必要らしい。長旅を経てへとへとの金魚は免疫が落ちている。また、ペットショップの水槽に病気がないとは言えないし、疲労困憊の金魚がすでに病気を持っている可能性もある。
 そのため、1週間ほどバケツなどに隔離して様子を見るのがトリートメント……らしい。本水槽の水で行ったり、塩を溶かしたり、薬を入れたりと人によってまちまちだったので、私は本水槽の水で塩浴を始めた。

 本水槽にはなにもいない。カルキ抜きした水にバクテリア剤を入れ、循環器を回しているだけの水槽を用意していた。水槽には不純物を分解するバクテリアが棲みつくのだが、定着するのに時間がかかる。万全の体制で金魚をお迎えしたいがために、前の子が死んだその日に立ち上げた。まだ水質は安定してないだろうが、いずれ住むことになる水に慣らしておいて損はないとみてこの水を使った。

 急に塩浴を始めると、これまた金魚はびっくりしてストレスを抱えてしまうので、数十分から数時間かけて徐々に塩分濃度を上げる。バケツにはブクブクも入れておき、酸素不足にならないよう気をつける。

 完璧だ……。

 新しい水に入りたての金魚は水慣れしていない。新しい環境に慣れるのにエネルギーを使っているので、ここでエサをあげると体力を余計に削りかねない。
 エサをやりたい気持ちをグッと抑え、3日間はやらないのがセオリーらしい。3日も経てばペットショップで食べていたエサがフンとなって外に出る。これまた負担をかけない程度にエサをやり、金魚の体を飼い主の家に慣らしていく。

 連れ帰った金魚も最初こそバケツの底でじっとしていたが、3日も経つとバケツ中をチロチロ泳ぎ回った。
 尾びれに白点やギザギザはない。お腹が赤いこともないし、背びれはぴんと立っている。
 エサを1粒あげるとパクりと食べた。4日目も同じく1粒パクりと食べた。
 塩浴から引き上げる準備を始めるべく、5日目は本水槽の水で塩分濃度を薄めた。金魚が本水槽を泳ぐ日が楽しみだ、とご満悦な私は会社へ向かった。

 翌朝、いつものように金魚をプラスチックケースに入れて観察する。ひれの黒い部分はわずかに減った気がする。が、しかし。金魚の動きが鈍い。

 いつもならバケツから引き揚げると「人間だー!?」と驚いた顔をしてケースの隅に逃げ惑う金魚だがその日はじっとして動かなかった。金魚の体に特別な変化はないが不規則に呼吸をしていた。息をするスピードが3秒ごとに早まったり遅まったりする。

 なんで!?

 ……なんで?

 金魚の真上にスマホをかざし、10秒ほどの動画を撮る。金魚の体を拡大して隅から隅まで観察し、異変を認めた。うろこがわずかに浮いている。

 松かさ病です。

 たしかに、5日目の夜時点で不安はあった。夜になってもチロチロ泳ぎ回りがちな金魚が動かなかった。
 ただ、夜になると金魚も寝るので夜間に動かないことは多々あるし、電気を点けて様子を見すぎるのも金魚のストレスになるし、なによりブクブクの泡が邪魔して不調とまで断定できなかった。

 松かさ病は治療が難しい金魚の病気として有名だ。エロモナス菌という常在菌が弱った金魚に入り込み、腹水に水が溜まり、外に出されるはずの水が体に溜まることで鱗が浮く。
 そのようなプロセスは判明しているが、詳細は明らかになっておらず、治療法も確立されていない。

 だから、私はアクアリウム初心者として、この病を本当に恐れていた。金魚を飼い始めてから瞬時に覚えた病気が松かさ病だったし、暗記が苦手なのに「エロモナス菌」という言葉は1日で覚えた。

 とりあえずエロモナス菌にも有効とされている薬を入れて薬浴を始めた。塩浴との併用も可能らしいので、金魚の免疫力を高めるために塩浴も再開した。
 しかし、金魚が動く気配はない。日に日に体も膨らんでいる気がする。
 松かさ病末期でも泳ぐ子は泳ぐらしいのに、うろこがわずかに浮いた程度の我が子はまるで動こうとしない。泳ぐ気力がないのだろうか。

 薬餌を初めて作ったので、少しでも泳ぐようになったら与えてみようと思っている。お腹に原因の菌がいるなら、そいつを退治するのがいい気がする。でも、前の子は消化不良で亡くなったのでエサをあげるのに抵抗もある。

 「金魚死ぬな!」という気持ちと「また死んじゃうかも!」という気持ちが同居している。琉金は飼いやすいと豪語したのは誰だ。アクアリウム上級者だ。死なせても仕方ないのだ、初心者の私は。

 この2ヶ月で、「金魚と比べて自分という存在は自分がどうにかすればなんとかなるからすごい」というおかしな学びを得た。
 自分なりに懇切丁寧に育てている金魚はことごとく落ちるが、適当にレンチンしたうどんとご飯を食べ、野菜はまるで摂らず、なんなら肉も魚も食べない私は元気に息をしている。

 人間、読みたい本を読めばそれっぽい知識となって定着するし、苦手な仕事だって手を動かせばそのうち終わる。漫画を読むと嫌なことを忘れるし、実況動画を見ながらする化粧は楽しい。チョコレートを食べると嬉しくなるし、友だちと水族館ではしゃぐと楽しい。
 私ごとで恐縮だが、ここ3年で4kg近く体重が増えた。ただ、3年前の服はまだ着れるし、体重計が家にないからそもそも体重を計らないし、そうなると年1の健康診断で初めて自分の重さを知るし、そうなると体重を知ることが楽しみになってくる。

 私はなににもなれないし、なにに対してもやる気がない。職場に馴染めないし、馴染む気もないし、友だちも沢山はいない。社会でいうなれば負け組だが、個人の範疇で豊かに楽しく暮らしている。自分という存在はなんとかなる。この事実は揺るがない。本当にすごい。

 金魚の奴隷と化した私は、人間がいないとまともに生きられない金魚に思いを馳せる。今日も我が家の金魚はぐったりとしている。

 私は1時間半の映画を5時間かけて消化する人間だ。映画は長い。冗長で飽きてしまう。それでも見終えた映画はなんだかんだ記憶に残る。話題のひとつとしてストックできる。

 5時間かけて換水し、看病しても金魚はぐったりしている。手間ひまかけたところで、向かう先は死かもしれない。ペット……自分以外の命のままならなさに驚く。

 私はすげえ。簡単には死なない。

 でもきんぎょ、すぐ死ぬ。



p.s. 夜に様子を見たら瀕死! 
  明日星になってるかもしれない!ーおしまいー

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