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いつか観た映画・大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)

坂本龍一さん(教授)の映画の思い出をもう一つ書く。

中学生の時の思い出の映画といえば、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」(「戦メリ」)である。
私が中3の時に、友だちのヤマセ君と劇場に観に行った。当時の中高生は、みんな劇場に観に行ったのではないだろうか。なぜなら、当時絶大な人気を誇っていた坂本龍一やビートたけし、それに、デビッド・ボウイが出演していたからである。
とくに私は、当時YMOに心酔していたから、当然、教授の音楽目当てに、観に行ったのである。一緒に見に行ったヤマセ君もまた、YMOに心酔していた。というより私がYMOに心酔したのはヤマセ君の影響である。
もちろん私は、当時男子中学生のほとんどが聴いていたという「ビートたけしのオールナイトニッポン」のリスナーでもあった。
なによりビックリするのは、かつて「日本のヌーヴェルバーグの旗手」といわれた、難解な映画を作ることで有名なあの大島監督の映画を観に、中高生たちが劇場まで足を運んだ、という事実である。これは1つの社会現象であった。
「映画、よかったなあ」
たぶん、中学3年の2人にとって、映画の内容は難解だったと思うのだが、私たちからすれば、教授の音楽が聞ければそれで満足だったのである。
「戦メリ」はその後しばらく、クリスマスが近づくとテレビの「日曜ロードショー」といった番組で放映されて、一種の風物詩となった。
「戦メリ」のサントラも、当時、高く評価された。
サントラのレコードが発売されてからしばらくして、教授自身が編曲、演奏したサントラのピアノ・ヴァージョンのカセットブックが発売された。タイトルを『Avec Piano』という。これもまた話題になった。私はこのテープを何度も何度も聞いた。
その後、今度はサントラのピアノヴァージョンの楽譜、というのが発売された。私が高校1年になってからのことである。
私は、「戦メリのテーマ」である「Merry Christmas、Mr.Lawrence」が弾けるようになりたい、と思って、楽譜を買って、練習することにした。
といっても私は、ピアノの素養があるわけではない。小学校低学年の頃、少しだけ、エレクトーン教室に通ったことがあるくらいである。
私は、小学生の時に使っていたエレクトーンを引っぱりだして、「戦メリ」を練習することにした。
ところが「戦メリ」の楽譜を見て驚いた。
フラット記号が5つもあって複雑すぎる上に、教授は左利きのせいか、左手の演奏部分がやけに難しく、それに加えてヘ音記号である。
(こりゃあ、ダメだな)と思いつつも、楽譜と格闘しながら、毎日何時間も練習した。
好きなものに対する情熱、というのは、すさまじいものである。最初は全然ムリだろうと思っていたものが、独学で練習を重ねていくうちに、だんだんと弾けるようになってくる。ついには、つっかえつっかえしながらも、最初から最後まで通すことができるようになったのである。
(今度、高校の吹奏楽団の練習の時に、音楽室のピアノで弾いてみようかな。みんな、ビックリするだろうなあ)
そんなことを思っていた高1のある日、吹奏楽団の練習が始まるので音楽室に向かっていると、音楽室から「戦メリ」のメロディが聞こえてきた。
なんと、私と同期のO君が、じつになめらかに、「戦メリ」を弾いているではないか!
O君だけではない。W君もやはりなめらかに「戦メリ」のメロディを奏でているぞ!
うーむ。やはりみんな、練習していたのか。
…と、つまりそれくらい「戦メリ」の音楽は、当時の中高生(とくに男子生徒)に影響を与えたのである。
さて、それほど中高生の心をガッチリわしづかみにした「戦メリ」だが、だいぶ後になってあらためて見返してみると、作品に難がないとはいえない感じがした。
とくに教授をはじめとする出演者の滑舌の悪さはひどく、何を喋っているのか、まったく聞き取れない部分もある。唯一、ビートたけしだけは出色の演技だった。とくにラストシーンには、不覚にも泣かされる。この映画は、このラストシーンのためだけにあるような映画である。
当時、この作品がカンヌ映画祭に出品されたとき、私は本気で「これはグランプリ間違いなしだな」などと思っていた。だがこの時にグランプリを受賞したのは、今村昌平監督の「楢山節考」だった。
そのとき、なぜ「戦メリ」ではなく「楢山節考」がグランプリなのか、不思議でならなかったのだが、おそらく、「楢山節考」の方が、演出も丁寧で、映画としても完成度が高かったのかもしれないと、今にしてみれば思う。もっとも、「楢山節考」を見ているわけではないのだが。
…そう、あのときボクたちは、「戦メリ熱病」に冒されていたのだ。

「MerryChristmas、Mr.Lawrence」は、教授の代表曲となり、亡くなる直前まで教授はピアノ演奏を続けた。年齢を重ねるたびに味わい深い演奏になっていったが、でも私がいまでもいちばん好きなのは、『Avec Piano』のバージョンである。だからいまでも私は、『Avec Piano』バージョンのピアノ演奏を聴き続けている。

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