あとで読む・第38回・ミステリー文学資料館編『古書ミステリー倶楽部』(光文社文庫、2013年)

アンソロジーの形式をとる短編小説集をあまり好まない。他人が選んだ作品に乗っかるのはいかがなものかという思いがあるからだと思う。しかし、性懲りもなくなぜか買ってしまう。で、結局は読まずに終わってしまうことが多い。だが標記の本を思わず買ってしまったのは、そこに野呂邦暢の「若い砂漠」が入っていることを見つけたからである。
野呂邦暢は、1980年に42歳で亡くなった、長崎県出身の芥川賞作家である。長崎の諫早を拠点に作家活動を続けていた。
20代前半の頃、野呂邦暢という作家に興味を持ち、芥川賞受賞作『草のつるぎ』をはじめとする小説を読んでみようと手に取ったのだが、それほど長くない小説であるにもかかわらず、どういうわけか途中で挫折してしまった。
2021年、ちくま文庫から『野呂邦暢 古本屋写真集』が出たのを知り、野呂邦暢のことを思い出した。小説を再び読んでみようという思いに駆られ、同じちくま文庫の『愛についてのデッサン』から読み始めることにした。
『愛についてのデッサン』は、副題に「佐古啓介の旅」とあるように、若き古書店主の佐古啓介を主役にした、6篇からなる連作小説だが、これがいずれも佳品である。
舞台は中央線沿線の阿佐ヶ谷である。野呂邦暢が上京するたびに、神保町、早稲田界隈、そして中央線沿線の古本屋をめぐることを楽しみにしており、古本屋を写真にまで収めていたことは『野呂邦暢 古本屋写真集』からもわかる。しかしなぜ、神保町でも早稲田界隈でもなく、阿佐ヶ谷なのか。『愛についてのデッサン』巻末の、岡崎武志氏の解説によると、「一九七七年阿佐ヶ谷に十一軒あった店舗のうち、営業を続けているのは「千草堂書店」のみ。消沈の激しい数十年だった。その後にできた「銀星舎」「コンコ堂」とともに中央線沿線の古本屋文化をかろうじて守っている」とある。神保町や早稲田界隈の「古本屋街」よりも、古本屋が点在する阿佐ヶ谷のほうに郷愁を感じていたのかもしれない。
私が好きなエピソードは、「若い砂漠」。佐古啓介は、ふとしたきっかけから、大学時代の友人だった鳴海健一郎のことを思い出す。彼は大学時代に、大学新聞に書いた懸賞小説が入賞し、批評家に賞賛される。だが鳴海は、俺の小説の価値があんな批評家たちにわかってたまるか、あんな批評家に認められるくらいなら、小説を書くのをやめる、と虚勢を張り、大学を卒業した後は放送局や芸能事務所に勤めることになる。
古書店主となった佐古はあるとき、鳴海が神戸の同人雑誌に書いた小説が批評家の目にとまっていることを知り、鳴海に会いに神戸を訪れる。鳴海は、同人雑誌に書いた小説が、今度の「A賞」(芥川賞を想定していると思われる)の候補作になるに違いないこと、そして、「A賞」の審査員の「票読み」をして、自分の小説が「A賞」を受賞することは間違いないことを、嬉々として佐古に語るのである。鳴海の虚栄心の強さを目の当たりにした佐古は、「鳴海と会うのはこれでこれで終りになりそうな気がし」て、鳴海と別れることになる。
主人公は古書店の店主だが、物語にとくに古書はかかわらず、むしろ同人作家の悲哀を描いた切ない作品である。これが標記の本に収録されているということは、このアンソロジーは私の趣味と合うかもしれない、と思い、思わず買ってしまったのである。



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