いつか観た映画・『セデック・バレ』(ウェイ・ダーション監督、台湾、2011年、日本公開2013年)
映画『セデック・バレ』は、日本統治下の台湾で1930年に起こった、先住民族の抗日武装蜂起である「霧社事件」をテーマに、台湾の原住民(台湾では「先住民」ではなく「原住民」という言い方をする)であるセデック族と日本軍との戦闘を描く、4時間半にわたる大長編劇映画である。これまで、霧社事件が映画で取りあげられたことはおそらくなく、私も恥ずかしながらこの映画ではじめて、霧社事件がどういうものかを、具体的に知ることができたのである。
台湾には、高地に住む原住民がいて、日本では「高砂族」とも呼ばれていた。セデック族もそのうちの1つである。彼らは独特の自然観や死生観を持っていた。とくに、敵の首を狩ることで、一人前の大人になると認められる「首狩り」の風習は、彼らの独特の価値観を表していた。ちなみに映画のタイトルである「セデック・バレ」とは、セデック語で「真の人間」という意味で、真の人間として誇り高く生きようとするセデック族の姿が、この映画の中で描かれている。
だが、当時台湾を支配していた日本からすれば、その風習は野蛮きわまりないものに映った。日本は彼らに、野蛮な風習をあらためさせ、「文明化」をめざすべく教育を施す。だが、セデック族にとっては、それは自分たちの文化が奪われることを意味し、屈辱なのである。この食い違いが、「霧社事件」という悲劇を生むことになる。映画ではセデック族と日本軍との戦いに焦点が絞られ、もっぱらセデック語と日本語が使用されている。
この映画は、歴史映画として見るだけでなく、戦闘アクション映画としても見るべきである。野山を自由に駆けまわり、近代兵器を持つ日本軍を翻弄するセデック族の戦闘シーンは、圧巻というほかない。
セデック族の戦士や家族を演じる役者たちは、みな、台湾の原住民の血を引く人たちばかりである。とりわけすごいのは、セデック族のカリスマ的な頭目(リーダー)、モーナ・ルダオを演じた、リン・チンタイである。彼はタイヤル族出身の一般人で、映画初出演であるという。
映画を観た人はみんな思ったと思うが、このモーナ・ルダオを演じたリン・チンタイの存在感やオーラは、ハンパではない。とても映画初出演とは思えない。むしろ日本人のプロの役者の方が、演技がぎこちなく感じられるほどである。
劇中に流れるセデック族の歌もまた、すばらしい。
大事なのは民族や国籍にかかわらず人間として誇り高く生きることなのだ、ということを、教えてくれる。
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