あとで読む・第18回・太宰治「散華」

先日、ある会合で近代日本文学の研究者の方と隣の席になった。その方とは前に一度、ある通夜振る舞いの場でも隣の席になり、そこで少しばかりお話をしたことがある。そのときが初対面ではあったが、以前からお互いの名前と素性をなんとなく知っているていどの間柄だったので、話題を見つけるのにさほどの苦労はなかった。

久しぶりにお会いして「その節はどうも」と短い挨拶を交わすと、その方から「最近、こんなものを書いたのですが」と、論文の抜き刷りをいただいた。それは、太宰治の小説「散華」にまつわる研究ノートで、私が文学研究者でないのにもかかわらず、「三上ならば読んでくれるだろう」と思ってくれたのだろうと、私は勝手に嬉しくなった。

私はいただいた抜き刷りを見つめながら、「私は、太宰治にゆかりがあるんです」と唐突に話を切り出した。「祖父の出身地が津軽の金木町の近くなんです」
「ああ、そうですか」
「で、いま私は、三鷹の玉川上水の近くに住んでいるのです」
「へえ」
「つまり、祖父は太宰治の誕生の地の近くで生まれ、孫の私は太宰治の終焉の地に住んでいるというわけです」
「それはおもしろい縁ですね。三鷹市にお住まいですか。先日、生徒たちを連れて三鷹に行きましたよ。ほら、太宰治が愛した三鷹駅の跨線橋が取り壊されることになったでしょう?」
「そうですね。あれは残念です」
「取り壊される前にと思って、生徒を連れていったのです。それに、三鷹駅の駅前にある『三鷹市美術ギャラリー』の太宰治展示室でいま、林芙美子なんかの企画展をやっているでしょう?」
「ええ、私も見に行きました。井伏鱒二もとりあげてましたね」
「駅前にああいういい展示をする施設があるって、いいですね。その前の合田佐知子の企画展もよかった」
「それも見に行きましたよ。あれもよかったですよね。図録も立派なものでした」
「そうですね。三鷹はそういう文化的なものに溢れていますね。ジブリ美術館もあるし」
「山本有三もそうですよ」
「ああ、そうでした」

なんということのない会話なのだが、近代文学にまったく不案内な私が、近代文学研究者と会話が成立していることに、非常な喜びを感じた。もちろん、先方がこちらのレベルに合わせてくれただけの話なのだが、レベルを合わせて話してくれる、というだけでもありがたいことである。

さて、太宰治だが、10代の一時期に熱を上げて読んだ、という程度で、すべての小説を網羅的に読んでいるわけではない。というより読んでいない小説のほうが多い。「散華」もその一つである。
「実は、まだ『散華』を読んだことがないんです」
「青空文庫で簡単に読めますよ」
短い作品だったこともあり、簡単に読むことができた。これでいよいよ、いただいた「研究ノート」を読み進めることができる。「散華」の答え合わせをする心境である。


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