妄想5・高橋和巳『悲の器』(新潮文庫、1967年)

前の2回、高橋和巳の本についてふれたが、今の時代、高橋和巳の小説が受け入れられているのだろうか。
『悲の器』がまぎれもない傑作であることは間違いないが、もともと中国文学者である高橋和巳の文体は重厚で格調高く、とても今の人に受け入れられるとは思えない。
私はこの小説を、高校時代、むさぼるように読んだ。高橋和巳の重厚で格調高い文体に魅せられたのである。
刑法学者で、ある大学の法学部長をつとめる正木典膳は、家政婦から婚約不履行により告訴される。法学界の権威によるスキャンダルは、周囲からの孤立を招き、次第に追い詰められていく。戦後知識人の苦悩と葛藤がじつにスリリングに描かれ、その心理描写が丹念に描かれる。
これほど、法学界や大学における「知識人(インテリ)」「学問的権威」の悲哀や苦悩を描いた小説はないだろう。
10年以上前に、久しぶりに読みたいと思い、大型古書店で新潮文庫版の『悲の器』を買い求めた。
その本には、小さくて謹厳な文字が書かれたメモ用紙が何枚か挟まっていた。おそらく「元の持ち主」のはさんだメモが、そのまま残っていたのだろう。
表紙をめくったすぐのところには、「私的タイトル」と題されたメモ用紙が挟まっていた。
『悲の器』は全部で32章からなるが、もとの小説には、章のタイトルは存在しない。そこに、「元の持ち主」はタイトルをつけているのである。心覚えのために書き出しておく。

「第1章 醜聞(スキャンダル)」「第2章 弁明」「第3章 「国家」の頃」「第4章 前兆」「第5章 名誉毀損」「第6章 転向」「第7章 妻の死」「第8章 通夜」「第9章 訴状」「第10章 ボイコット」「第11章 昔日の棘」「第12章 父と娘」「第13章 断崖」「第14章 肉欲の幻影」「第15章 技術者」「第16章 堕落の埠頭」「第17章 倫理と論理」「第18章 調停(1)」「第19章 調停(2)」「第20章 失墜への道」「第21章 敗北の譜」「第22章 遺稿二つ」「第23章 謹慎」「第24章 父と息子」「第25章 乖離」「第26章 失脚」「第27章 記憶」「第28章 雑事」「第29章 退官演説」「第30章 別離」「第31章 妻の手記」「第32章 悲の器」

小説を読んだ人ならわかると思うが、じつに適切で、センスのよいタイトルである。もしこの小説が連続ドラマになるとしたら、これをこのまま、各回のタイトルにしてもよさそうなくらいである。
いったい「元の持ち主」は、どんな人だったのだろう?
このほか、小説の本文中にも、付箋のようなメモ用紙が、何カ所かに挟まっているのだが、とくに私が目を引いたのは、38頁と39頁の間にはさまれた、「P39、L2~」というメモである。
この箇所は、大学の事務室の隣にある教官室(複写機や新聞などが置いてあり、さながら談話室のようなもの)に正木典膳が行くと、正木が来ていることに気づかない他の若手教官数人が、正木のスキャンダルについてあれこれと噂話をしているところに出くわす、という場面である。
「P39、L2~」というメモ書きは、39頁の2行目から、という意味であろう。その部分には、こんな叙述がある。ちなみにこの小説は、主人公・正木典膳の「独白」という形をとっているので、以下の文章は、すべて正木の視点である。

「直接、自己の失敗や破廉恥から起こるのではない羞恥感に私は苦しんだ。恥ずべきなのは蔭口をたたいている側であるにもかかわらず、他者の行為があたかも自己の罪のように、血が逆行するのはなぜだろうか」

なかなかまわりくどい表現である。「陰口をたたいているのは自分ではないのに、しかも自分に対する蔭口がたたかれているのに、なぜかその陰口をたたいている若手同僚たちの行為が、まるで自分の罪のような恥ずかしさにとらわれる」という意味だろうか。
小説では、若手同僚たちの陰口と、それに対する正木のコメントが続くが、このあたりは、正木の心情がよく表れている。とりわけこの場面の最後の方にあたる、次のくだりは、私にとっては印象的である。

「専門領域を離れた学者の会話はおおむね児戯に類する。そこに悪意のない場合は、それも一つの愛嬌かもしれない。だが、その発言には明らかにとげがあった」

これもまたまわりくどい表現だが、丹念にパラフレーズしていくと、高校生の時にはわからなかったが、今の私には、じつに印象的な文章である。とくに「児戯に類する」という言葉がよい。いちど使ってみたい言葉である。この小説が戦後インテリの苦悩を見事に描いているのは、まさにこういう細かな心理描写においてである。
しかし、謎である。
「元の持ち主」が、「P39、L2~」というたったこれだけを書いたメモ用紙をはさんだのは、この部分に、どんなことを感じたからなのだろう?
ほかのところにはさんであるメモには、たとえば、「P280、後L9 果たしてそうだろうか。」と、短いコメントが書かれているものもある。「元の持ち主」が、この箇所に何か特別の印象を持ったことは間違いないのだ。
松本清張だったら、そこからとんでもない事件にぶち当たるような小説を書きそうなものだが、凡庸な私には思いつかない。

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