回想2・佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル、2020年)より

標記の本を読み直してみて思い出した。
2023年のある夏の日の朝。私の「Messenger」に、メッセージが入っていた。高校の部活の1学年下の後輩のAさんからだった。
「突然すいません。三上先輩の1学年上のFさんが闘病の末に一昨日お亡くなりになりました。もし、お親しい方がいれば…と思いご連絡しました。もし思い当たる方がいたらお伝えいただければと思います」
Aさんとは10年以上も会っていない。連絡先もお互い知らないはずなのだが、私のFacebookを見つけ出して、Messengerにダイレクトメッセージを送ってくれたのだった。
「1学年上のFさん」とは、トロンボーンを吹いていたF先輩のことだ。私は楽器パートが違っていたので、それほど親しかったわけではないのだが、Aさんはたまたま、連絡先のわかった私にメッセージをくれたのだろう。
それにしても不思議である。Aさんは私の1学年下だから、F先輩とは2学年離れていることになる。つまりF先輩が3年生のときにAさんは1年生。うちの高校の吹奏楽団は3年生になると「引退」するため、当時1年生だったAさんとは高校の吹奏楽団で接点がなかったはずである。
「私は大学のオーケストラでご一緒したのですが、卒業後はほぼお会いしていませんでした。Fさんの同期の方に教えていただいたのです」
それで納得した。高校時代は自分より上の学年の人に対して必ず「先輩」という敬称をつける。ところが大学のサークルではそんな風習はない。私はAさんとのやりとりのなかで高校時代の関係そのままに「F先輩」と呼んでいたが、Aさんは大学の時に出会ったので自然と「Fさん」と呼んでいたのだ。その証拠に、Aさんは私のことを「三上先輩」と呼ぶ。その呼び方のちぐはぐさがなんとなく可笑しかった。
ほとんど接点はなかったF先輩だったが、私が高校1年、F先輩が高校2年の時の演奏会で、「追憶のテーマ」の主旋律のソロをF先輩が担当し、その音色が実に甘美だったことを思い出した。もともと楽譜上ではサックスが主旋律のソロを担当することになっていたのだが、それをF先輩のトロンボーンのソロに変えたのは、F先輩の実力を誰もが認めていたからだろうと、当時思ったものである。
そのことをAさんに伝えると、「そんな思い出があるのですね」と驚き、続いてこんなメッセージをくれた。
「実は先週の土曜日、有志が大学の部室に集まって、Fさんリクエストのマーラー5番の演奏をオンラインで届けました。その時点で意識混濁の状況ではありましたが、演奏後、グーサインされていたそうです」
50代半ばの有志たちが、大学の思い出の部室に集まり、その部室から死の淵にある友人にお気に入りの音楽を届ける。F先輩は意識が混濁する中で、それでもわずかな反応を示して満足したことを伝える。
5年前、私の父が死ぬ間際、病院の先生に「意識はなくても聴力はいちばん最後まで残りますから、どうぞ最後まで声をかけてあげてください」と言われたことを思い出した。
命を閉じる時に大事なものは、ひょっとしたら音楽なのかもしれない。
Aさんは最後に「私の知らないFさんのトロンボーンの話が伺えて、思い切って三上先輩に連絡してよかったです」と書いてくれた。
「私の知らないFさん」…、それは私も同じだった。大学時代、さらにその先のF先輩の人生は、私にはわからない。何人もの記憶や思い出を繋いでいくことが、その人がたしかに生きていた証となることに、あらためて気づかされる。

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