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あとで読む・正岡子規『仰臥漫録』(幻戯書房)

私が小学校4年~6年の時の担任だったN先生の故郷は愛媛県で、松山東高校出身だった。その後、地元の大学の教育学部で教員免許を取り、数年間、故郷で教鞭をとったあと、東京の小学校に移ってきたのである。
N先生はよく、松山東高校時代の思い出話もしてくれた。その話を聞きながら、早く高校生になりたいと思った。松山東高校は、当時小学生だった私にとって、最も身近な、そして憧れの高校名として、その後も記憶に残り続けた。
N先生は、当時小学生だった私たちに、折にふれて、芸術や文学のお話しをしてくれた。もちろん、当時小学生だった私たちには難しすぎて、そのすべてを理解したわけではなかったが、後々、私が文章を書くことを生業のひとつにするようになったきっかけは、N先生との出会いが決定的だったと思う。
N先生はまた、正岡子規をはじめとして、伊丹十三や大江健三郎、早坂暁など、郷土の先輩方のお話しをしてくれた。これらの人々は、後々まで私の心の中に残った。大学生のころ、初めて愛媛県の松山を旅行したとき、正岡子規の著作をたいして読んでもいないのに、正岡子規記念館を真っ先に訪れたのは、N先生の影響が大きい。

ふたたび正岡子規について考えるようになったのは、2017年に88歳で亡くなった脚本家・早坂暁さんのエッセイ集『この世の景色』(みずき書林、2019年9月)を読んでからである。
このエッセイの中には、早坂暁さん自身が、さまざまな病気を体験し、その病気と共生しながら仕事を続けてきたことを綴った文章が含まれている。
早坂暁さんは50歳の時に、心筋梗塞と胆嚢癌を患い、余命幾ばくもないことを覚悟した。そのときに、早坂さんと同郷の歌人・正岡子規の言葉に出会う。
東洋のルソーと言われた中江兆民は、喉頭癌となり、医者から余命一年半と告知を受ける。その余命を見すえて書いた本が『一年有半』である。正岡子規は、中江兆民のこの本を読んで、彼の考えを批判した。
曰わく、中江兆民は、死病にとりつかれて、もうジタバタしない、あきらめの境地にたどり着いたと書いているが、あきらめるというのは、どうもいただけない。死の約束は人間、生まれた瞬間からの約束ごとで、死病にとりつかれた人間だけのものではあるまい。そこで、あきらめるというよりは、なおかつ平気で生きるのが、望ましいありようではあるまいか、と。
正岡子規は、自身も脊椎カリエスという死病にとりつかれていたが、「平気で生きる」という言葉を述べている。ただし正確に言うと、この言葉は、『仰臥漫録』ではなく、『病牀六尺』の中で述べられている。

「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」

早坂暁さんは、正岡子規のいう「平気で生きる」という境地を胸に抱き、その後も次から次へと訪れる病気と共生しつつ、仕事を続けるのである。
そんな早坂さんが、「平気で生きる」ことを貫いた人間としてまなざしを向けたのが、彼の親友・渥美清であった。
渥美清もまた、晩年は癌に冒されていたが、彼は親友の早坂にすら、そのことを打ち明けなかった。
早坂暁は、渥美清に対する弔辞の中で、次のように述べている。

「…あなたはそういうことを気取らずに、正岡子規さんの言葉ではないですが、なおかつ平気で生きてみせた本当に強い人だと思う。正岡子規さんは、やはり結核からきた業病で身体中穴だらけというそういう姿で、自分の死期をも悟っていたわけですから、書いておられますけども、それでも、なおかつ平気で生きることが大事だと、なおかつ平気で生きる。なかなかそういうことは出来ることではありません。あなたは、僕が知っている限りでは、正岡子規さんの他にはあなただけだなと思います。本当に偉かったなと思います」(早坂暁『この世の景色』)

さて、幻戯書房版の『仰臥漫録』には、巻末に早坂暁さんの「子規とその妹、正岡律」というエッセイが収められている。これがなかなかボリュームがある。その中で、

「『仰臥漫録』は死の前年、明治三十四年(一九〇一)九月から死の直前までの、世界でも類を見ない”夢と絶叫”の日記である」

と説明している。人生の終末を意識するようになると、人は日記を書くようになるのだろうか。
早坂さんは、エッセイの最後をこうまとめている。

「余命二、三年と宣告された私自身の“死のレッスン”であるが、胆のう癌と診断されたものの開腹手術の結果は「胆砂」であった。しかし心筋梗塞により心臓の半分は壊死し、癌はその後、他の臓器に次々と発生した。まるでモグラたたきのように手術を繰り返しながら、私はこの四十年を息浅く過ごしている。
何度となく、死の淵に立った私は、そのたびに『仰臥漫録』を手に取り、力をもらったと考えている。
そうです、最後の最後に私の杖になり支えてくれているのが『仰臥漫録』なのです」

早坂暁さんの生きる力を杖のように支えた『仰臥漫録』を、そろそろ本気で読んでみようと思う。

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