忘れ得ぬ人々・第6回「1日だけの恩師」(前編)

「ふとしたとき、どうしているのかな?と気になってしまう。自分の中に爪跡を残している。でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、あなたの「忘れ得ぬ人」を送ってもらっています」
という、TBSラジオ「東京ポッド許可局」のコーナー「忘れ得ぬ人々」にヒントを得て書いています。

大学4年の時のことである。
母校の高校に教育実習に行くことになった。大学で教育実習生の一覧表が配られ、私のところを見ると、指導教員の欄に見知らぬ先生の名前が書いてある。古畑という先生である。
調べてみると、社会心理学を専攻されていて、私の専攻とはまったく異なる先生である。
あとで調べてわかったことだが、古畑先生は有名な社会心理学者であった。そればかりか、古畑先生のお父様は、古畑種基さんといって、法医学の草分け的存在の方で、戦後の数々の重大事件に法医学者として血液鑑定にかかわった。岩波新書の『血液型の話』も読んだ記憶がある。

私の大学は、教授はもっぱら自分の研究に打ち込み、学生はほったらかしだったから(それが許されていた大学だった)、教育実習の指導教員などといっても、まったくの名目にすぎないものであった。おそらく、機械的にふりわけられたのだろう。だから私とはまったく無縁の先生だったのである。指導教員は名目上のものだ、ということは、暗黙の了解だった。
だが、それでもいちおうは指導教員なのだから、形だけでもご挨拶に行こうと思い、古畑先生の研究室を訪ねることにした。

古畑先生は、白髪の紳士、といった感じの穏やかそうな先生である。私が、「教育実習に行くことになり、先生が指導教員ということだったので、ご挨拶にうかがいました」と言うと、
「それでわざわざ来てくれたのか。そうかそうか。わざわざ挨拶に来たのはあなたくらいなものだよ」
とにこやかにおっしゃった。
「で、どこの高校に行くのかね?」
「都立K高校です」
「K高校…」古畑先生は何かを思い出したようだった。
「K高校に、深谷君という英語の先生がいなかったかね?」
「ええ、いらっしゃいました。私、3年間習いました。とてもお世話になった先生です」
ふいに深谷先生の名前が出て、びっくりした。深谷先生は、私が高校時代、強く影響を受けた先生のひとりである。

とにかく変わった先生で、いわゆる受験英語のようなことは一切しない。まったく自由奔放に英語の授業をする。授業中に、いろいろな学問の話をしてくれて、それがとても刺激的でおもしろいのだ。
だが、まじめに英語を勉強しようとする生徒たちからは、どちらかというと煙たがられていたかも知れない。「もっと受験に役に立つことを教えろよ」とか、「授業中に関係ない話が多すぎる」とか。
高校3年の土曜の放課後、深谷先生による自主講座が行われた。「ベーシック英語」という講座である。
「ベーシック英語」とは、普通の英語とは違い、850語の単語だけを使って、すべての表現をするという、人工言語のことである。いってみれば、エスペラント語のようなものである。
この「ベーシック英語」は、1つでも多く英単語を覚えなければならない受験英語とは、真逆の言語体系である。当然、この講座に参加する生徒など、ほとんどいなかった。参加したのは、私を含めわずか数名であった。そりゃそうだ。高校3年だもの。でも私は参加し続けた。私には、深谷先生が受験英語のアンチテーゼとして「ベーシック英語」を教えているようにも思えた。深谷先生も私も、あまのじゃくだったのだ。

「深谷先生をなぜご存じなのですか?」私は古畑先生に聞いた。
「あれは、私の教え子だよ」
それを聞いてびっくりした。と同時に、そうか、それで合点がいった。深谷先生は授業中、やたらと心理学の話をされていて、それがたまらなくおもしろかったのだが、そもそもが心理学者だったのだ。

さてその深谷先生をめぐる古畑先生との会話が、私の教育実習を思わぬ方向へと導くことになる。(続く)

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