あとで読む・第26回・本多きみ『ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒澤明の友情』(宝島社、2012年)
幼い頃、父に連れられて「東宝チャンピオンまつり」に行くのが楽しみだった。「東宝チャンピオンまつり」とは、子ども向けの映画興行プログラムで、当時は「東映まんがまつり」のほうがメジャーだった気がするが、私は「東宝チャンピオンまつり」のほうが断然好きだった。目的は、当然「ゴジラ」である。過去に上映されたゴジラ映画を再編集したりしたものが上映されていたと記憶するが、それを通じてゴジラファンになったのである。もともと、アニメよりも特撮のほうが好きだったからだろう。
「ゴジラ」の第1作は1954年だから私が生まれるはるか前である。だんだんと大人になるにつれて、私はゴジラの意味を知るようになる。1955年には黒澤明監督の「生きものの記録」が公開されていて、両者が「ビキニ水爆実験」という1点でつながっていることに、名状しがたい感動を覚えたのである。ビキニ水爆実験の恐怖に取り憑かれた人間をストレートに描いた『生きものの記録』、それに対してその恐怖を未知の怪獣として象徴的に描いた『ゴジラ』。両者は描き方が全く異なるが、原水爆や放射能の恐怖の同時代性を描いたという点では、並び立つ貴重な映画である。そしてその黒澤明監督と本多猪四郎監督は、終生の友として、黒澤明監督の晩年の作品を二人三脚で作り上げていくというのも、縁の深さを感じずにはいられない。外から見ている勝手な印象では、気性の激しい黒澤監督を、穏やかな本多監督が支えながら作品を作り上げていったのではないか、その意味で二人はいいコンビだったのではないかとも想像してしまう。実際のところは、標記の本を読めば明らかになるであろう。
本多猪四郎監督は、大林宣彦監督の映画『異人たちとの夏』(山田太一原作、市川森一脚色、1988年)に、浅草のやつめうなぎ屋の主人の役で出演している。
「ヤツメウナギは精がつくよ。しっかり食べて、長生きをおし。はい、ご油断なく」
と主人公たちに声をかける場面が、短いがとても印象的だった。とくに最後の「ご油断なく」はとても素敵な言葉で、私もしばしば使わせてもらったりした。
大林監督によると、この「ご油断なく」というセリフは、本多監督のアドリブだったようで(『A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る』立東舎、2020年)、このセリフに「痺れた」大林監督は、その後もしばしばこの「ご油断なく」というセリフを他の映画の中でも使っている。
しかし不思議なのは、この言葉が盛岡弁だということである。岩手県出身でもない本多監督は、なぜこの言葉を使ったのだろうか。監督は、どこかでこの言葉を聞いて、その言葉の響きを気に入りどこかのタイミングで使おうと考えていたのだろうか。いずれにしても大林監督もその言葉の響きを気に入り、映画の中でたびたび使うようになったのは事実である。だとすれば、両監督の響き合う言葉の感性に、思いを致さずにいられない。これもまた、ひとつの映画史である。
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