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保苅実『BEFORE・ラディカル・オーラル・ヒストリー 保苅実著作集BOOK1 生命あふれる大地』(図書出版みぎわ、2024年)発刊に寄せて

保苅実さんの新刊の出版を、みずき書林の岡田林太郎さんはとても喜んでいるのではないだろうか。そのことを思い出し、過去のメールを辿っていくと、私が岡田さんと初めて連絡を取り合い、初めてお目にかかるまでのメールが残されていた。私的なメールのやりとりなので、公開してよいものか逡巡したが、いまは岡田林太郎さんの言葉をひとつでも多く残したいという気持ちの方が強く、また、岡田さんが保苅実さんの著作にふれた初期の頃の感想も述べられているので、ちょうど保苅実さんの新刊が出版されたこの機会に、ひっそりと残しておきたいと思う。折しも岡田さんが長年勤めていた出版社から独立する頃で、その頃のお気持ちも記されている。
岡田林太郎さんについては、こちらも参照してほしい。

あとで読む・第4回・岡田林太郎『憶えている 40代でがんになったひとり出版社の1908日』(コトニ社、2023年)|三上喜孝 (note.com)

(2018年1月22日12:24)岡田林太郎→三上
三上喜孝先生
お世話になっております。
勉誠出版の岡田林太郎と申します。
この度はご執筆のお願いを申し上げたく、メール差し上げる次第です。
この週末に、すでに大川史織さんからご相談があったかと思いますが、目下進行中の企画、
『マーシャルから届いた戦争日記――忘れられた島の記憶をつないで(仮)』
にぜひご執筆いただきたく、お願い申し上げます。
「赤外線撮影による日記解読」
のテーマで、この週末に解読された日記についてのエッセイをご執筆いただければ幸いです。
近現代史の分野では必ずしもまだ一般的ではない赤外線調査ですので、
1)赤外線撮影とは
2)主に古代史における赤外線撮影の成果の紹介
3)今回の日記解読での発見と今後の可能性
などが主な内容になるでしょうか。
(中略)
大半が餓死したマーシャルにおいて、日記を託した戦友の原田さんが数少ない生き残りとなったこと、冨五郎さんが死んだ日にたまたま原田さんがウォチェ島に来ていて日記を入手できたこと、日記全文を読みたいと願っていた勉さんのタクシーにたまたま仁平先生が乗り合わせたこと、マーシャル大使が同じ町の出身であったこと、そこにマーシャルに関心のあった大川さんが関わっていく過程など、日記解読や本書やドキュメンタリーが作られるプロセスには、時間や場所を超えたいくつもの偶然が連鎖しています。
〈偶然の連鎖は思いの強さが引き寄せる〉というのは本企画の裏テーマといってもいいと密かに考えていますが、ふたつのインタビューからは、そういった思いの強さのようなものを感じていただけるかと存じます。
(中略)
なお、日記の翻刻やインタビュー原稿、映像作品など資料が多い企画ですので、あるいはもう少し詳しいご説明が必要かもしれません。もしご関心を持っていただけるようでしたら、先生のご都合のよい日時・場所にいつでもご説明とお願いにうかがいますので、気軽にお申し付けください。
(中略)
また、先生も大林監督のファンであるとのこと、私も大学時代に自主映画を撮っていた経験があり、『青春デンデケデケデケ』はバイブルのひとつでした。
新作の『花筐』も、異様なまでに美しい巨大な壁画を観たような印象で、近年観た映画のなかでは圧倒的でした。
長いメールになってしまいまことに恐縮です。
年度末でお忙しいことと存じますが、ご検討くださいますようお願い申し上げます。

(2018年1月22日19:09)三上→岡田林太郎
岡田林太郎様
お世話になっております。三上です。
このたびは、ご連絡ありがとうございました。
この企画に、私もお手伝いすることができて、とても光栄です。
赤外線観察による日記の解読について、あまり堅苦しい内容ではなく、赤外線観察の手法と実例の紹介や、日記を赤外線観察したときの様子やその結果などを、エッセイのような形で執筆できればと思います。
お送りいただいた2つのインタビューを拝読し、〈偶然の連鎖は思いの強さが引き寄せる〉という裏テーマに強く共感しました(これ自体が、「思いをつないでいく」という、大林監督の映画のテーマにも通底しているように思えます)。
大川さんを通じて日記を調査することになったことが、まさにそうです。肉眼では見えない文字の中に人の思いを読み取る、という仕事を続けてきたからこそ、日記に出会えたのかも知れません。「研究が資料を引き寄せ、資料が人をつないでいく」ことを私自身も強く実感しました。
趣旨に沿うような文章になるかは不安ですが、少しでもお力になれればと思います。
(後略)

(2018年1月23日9:58)岡田林太郎→三上
三上先生
お世話になっております。
早速のご連絡をありがとうございます。
この度はご執筆をご快諾くださり、御礼申し上げます。
近現代史の史料である日記企画に対して、赤外線観察のエッセイが加わることになるとは、構想段階ではまったく予想しておりませんでした。
本書はがっちりした専門書ではなく、戦争を知らない世代の若い読者を想定したいと思っていますので、おっしゃるとおり、研究現場の喜びや驚きを伝えるようなエッセイをご執筆いただければまことに幸いです。
先生にご参加いただけることで、研究現場の臨場感が伝わるとともに、「人をつないでいく」という本企画の通奏低音がより強まることと存じます。
余談ながら、本企画では、大林監督にも取材できる可能性が、わずかながらございます。
監督のご体調など不確定要素が多いのでどうなるかわかりませんが、もし実現できるなら、はからずも大林ファンが集うことになった本企画にとって、とてもありがたいことです。
(後略)

(2018年3月6日0:06)三上→岡田林太郎
岡田林太郎様
ご連絡が滞ってしまい申し訳ありません。
一度お目にかかりたいと思いつつも、仕事に忙殺されてなかなかご連絡が差し上げられないでおりました。
先日の2月28日、大川さんが再び職場に来られて、赤外線カメラを使った佐藤冨五郎日記の再撮影と再釈読をおこないました。
先ほど、大川さんからメールをいただき、岡田さんが今の職場を退職され、新しい出版社を立ち上げる、とのお話をうかがいました。
それと、たいへん失礼ながら、これも大川さんから、岡田さんがいま39歳でいらっしゃるとも聞きました。
私も39歳の時に、職場から許可をもらって、1年3カ月ほど、韓国に留学をしました。それが自分にとっての新しい出発点になりました。
佐藤冨五郎さんが、マーシャルで日記を書いていたのが39歳で、私もまた、同じ年齢の時に韓国で毎日日記を書いていました。冨五郎さんとはもちろん生死の覚悟のレベルが違いますが、私もまた、そのときは生きるために日記を書いていたように思います。
これもまた不思議な縁ですね。
(中略)
しばらく大林映画から遠ざかっていましたが、佐藤冨五郎日記との出会いのおかげで、久しぶりに大林監督の世界に浸っています。「この空の花」「野のなななのか」「花筐」を見て、その映像の美しさとエネルギーに圧倒されました。若い頃からこの監督のことが好きでよかった、と思いました。
以前のメールで、「青春デンデケデケデケ」がバイブルだとおっしゃっておられましたね。もちろん私も大好きな作品です。ただ私は、岡田さんよりちょっと上の世代なので、「廃市」から入ったクチです。
地方大学に勤めていた頃、「青春デンデケデケデケ」の寺内先生(岸部一徳)のような教師に憧れて、ロックバンドのサークルの顧問を引き受けました(笑)。サークル内のいろいろなトラブルを、学生と一緒に解決していったことはよき思い出です。学園祭で、一度だけですが、学生たちとバンドを組んで演奏したときは、ロッキングフォースメンになったような気持ちでした(笑)。実際に、あの映画のような感じで会場が盛り上がったのには、身震いしました。
長々と余計な話をすみません。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

(2018年3月6日 10:20)岡田林太郎→三上
三上先生
お世話になっております。
ご丁寧なご連絡、まことにありがとうございます。
私は来週40歳になります。
自分でも意外でしたが、そのことが、昨年の秋くらいからほとんど恐怖に近い感情として感じていました。
大学卒業後にすぐにこの会社に入り、16年間も働き、社長まで経験させてもらいました。
社員たちは泣いて引き留めてくれて、退社を発表した先週以来、ちょっとした愁嘆場を演じたり、今後も協力関係を続けていこうと盛り上がったりしています。
このままずっとここに居続けることも不可能ではなかったと思いますし、それはそれで、とても幸福な職業人生なのだと思います。
しかし、このままずっといると、いつか後悔することになるだろうという予感に捉われてしまいました。
もう若くもないですが、まだ歳というほどでもないはずですので、トライしてみようと考えました。
それまでの人生への過適応に嫌気がさして、中年になって突然、破滅的な選択をしてしまうことを〈ヴェニスに死す症候群〉と呼ぶらしいですが(笑)、私もその病にかかったようです。
39歳というのはそういう時期なのかもしれません。
そして先生もまた39歳の時に大きな選択をされて、それが大きな転機になったとのこと、先人としてぜひお話をうかがえれば幸いです。
(中略)
私が退職してひとりでやってみようと決心したのにはいくつかの原因がありますが、このマーシャルの冨五郎日記の企画も、そのなかの大きな要因のひとつでした。
冨五郎さんと同じ年であったこと、また大川さんをはじめとする若い方々が自分の思いに忠実で、不安定であることを恐れていないこと、この企画を進めていくなかで再発見することになった大林宣彦という人物や、保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』などなど、たくさんの刺激を受けました。
日記の赤外線調査ができると言われたときには、そして三上先生が大林作品のファンであったことがわかったときには、思いを強く持って、私も「引きの強さ」にあやかりたいと感じました。
(後略)

(2018年3月7日2:32)三上→岡田林太郎
岡田様
ご連絡ありがとうございます。
(中略)
保苅実さんの本、恥ずかしながらまったく読んだことがないのですが、以前、テッサ・モーリス=スズキさんが、『Doing History』(弦書房)という小冊子の中で、
「三二歳と若くしてなくなった日本の歴史家に保苅実という人がいます。一緒にお仕事をしたこともあるのですが、わたしは、彼は天才だったと思います」と述べていて、保苅さんとは、どんな人なのだろうと、気になっておりました。ここでそのお名前が出たことで、やはりつながっているなあと思った次第です。
(後略)

(2018年3月7日9:33)岡田林太郎→三上
三上先生
ご返信ありがとうございます。
15日(木)、吉祥寺の改札とのこと、承知いたしました。
よろしくお願い申し上げます。
(中略)
保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』、私も読んでいなかったのですが、大川さんの愛読書ということでご紹介いただきました。
アボリジニの歴史観についての研究書でありながら、研究書の限界を突破して、生きる力のようなものを与えてくれる本でした。
本人が32歳で亡くなっていることも考え合わせると、眩しくて儚くて、繰り返し読みたくなる本です。
保苅さんの遺した文章に、「自由で危険な広がりのなかで、一心不乱に遊びぬく術を学び知りたいと思っている」という一節があり、この文章に出会わなかったら、もしかしたらいま退職して独立するという選択はしなかったかもしれないとすら思います。
原書は絶版状態なのですが、来月には岩波書店から新書(※原文ママ、正しくは岩波現代文庫)になるようです。
ともあれ、来週お目にかかってご挨拶できるのを楽しみにしております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


…かくして2018年3月15日、吉祥寺駅の近くの喫茶店で、私は初めて岡田林太郎さんにお目にかかることになる。初めてメールをいただいてから2か月が経っていた。

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