あとで読む・第4回・岡田林太郎『憶えている 40代でがんになったひとり出版社の1908日』(コトニ社、2023年)

みずき書林の岡田林太郎さんから本が届いた。最後の贈り物である。

岡田さんは、今年(2023年)の7月3日に45歳の若さでなくなった。亡くなる直前までブログを公開しており、私もその愛読者だった。この本は、そのブログの記述を中心に、それを読み返した岡田さんが「いま」の視点でふり返って解説を書く、というもので、その「いま」というのは、病気のために体調が辛くなった時期にあたる。驚異的な表現量というか、表現力である。

私は、大川史織編『マーシャル、父の戦場』(みずき書林、2018年)という本で一度だけ、岡田さんとお仕事をした。これまで何人かの編集者と仕事をしたが、私の場合、たいていは、仕事が終わればそれまでということになるのだが、岡田さんだけは違っていた。岡田さんとはその後もいくつかの場面でご一緒する機会があり、ときにはわざわざ声をかけていただくようなこともあった。とくに親しくお酒を飲む間柄ではなかったが、たまにメールをしたくなるような間柄だった。

岡田さんの友人である画家の諏訪敦さんは、旧Twitterで岡田さんについてこう書いていた。

「つまるところ私は、みずき書林岡田林太郎のように、仕事に対して掛け値なしに情熱を傾けられる人物が好きなのだと思う。一緒に仕事をしてるのに常に乗っかろうというスタンスの人はアピールのわりに事態に変化が無いから馬脚を顕す。真に動いている人の熱気と、狡猾に立ち回るさまは異質なものだ」。

岡田さんは、狡猾に立ち回る人間では決してなく、むしろ自然と周りに人が集まってくる存在だった。それは諏訪さんの言う「真に動いている人の熱気」を、私たちが感じていたからだろう。私のまわりには、とくに面識がないのですが実は岡田さんのブログの愛読者でした、という「サイレント読者」が何人かいて、つまり彼の熱気は知らない人も巻き込んでいたのである。正直に言うと私は文学でも音楽でも、岡田さんの趣味とはちょっと違っていたが、彼の熱気のもとでは、そんなことは些末な問題だった。

あとで読む、というよりも、くり返し読む、といったほうがふさわしい。実際、すでにページを開いてはあちこちを読み始めている。私の名前も何カ所か登場していて、こうして書き残してくれたのはただただありがたい。いろいろな思い出がよみがえる。

ページをめくっていると、入院中にウェイン・ショーターの『Native Dancer』をしばしば聴いている、という記述を見つけた。「ウェイン・ショーターの『Native Dancer』なら、私もむかしから好きなアルバムですよ」と、私は岡田さんに語りかけたかった。

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