読書メモ・第7回・中谷宇吉郎「I駅の一夜」

岩手県に出張中なので、それにちなんだ話を。

一昨年(2022年)、友人が書いた短いエッセイが送られてきた。ある有名出版社のPR誌に掲載されたエッセイである。そのエッセイがとてもよくて、そこに引用されている中谷宇吉郎の随筆にも惹かれた。まことに恥ずかしいことに、寺田寅彦の随筆は高校生の頃に愛読していたが、その弟子にあたる中谷宇吉郎の名は、この年齢になるまで知らなかった。私には知らないことが多すぎる。
「I駅の一夜」と題する短い随筆が好きである。
北海道から東京に戻る途中の、1945年3月10日未明、東京大空襲があり、その余波を受けて盛岡も空襲にあう。そのために汽車事情が悪くなり、筆者は、盛岡から少し東京寄りのI駅で途中下車をして、とりあえず宿を探すことにした。
…私はこの駅を一ノ関駅ではないかと想像した。以前に一度、一ノ関駅前に宿を取ったことがあるので、「I駅」を一ノ関駅と勝手に解釈すれば、俄然この文章も親しみやすくなる。
さて、筆者・中谷宇一郎は、宿屋を探すが、夜遅いせいもあって、なかなか泊めてくれるところがない。ようやく泊めてくれることになった宿屋も満室で、布団だけを貸してくれるという。宿帳に名前を書くために筆者が名刺を渡すと、そこの女主人が、「先生の本を愛読しています」と感激した様子で、あいにく満室ですが、どうぞ私の部屋を明け渡しますのでそこに泊まって下さいと言った。
その部屋に通されて、筆者は驚いた。

「四畳半の二つの壁がすっかり本棚になっていて、それに一杯本がつまっている。岩波文庫が一棚ぎっしり並んでいて、その下に「国史大系」だの、『古事記伝』だの、「続群書類従」だのという本がすっかり揃そろっているのである。そして今一方の本棚には、アンドレ・モロアの『英国史』とエブリマンらしい英書が並んでいる。畳の上にもうず高く本が積まれていて、やっと蒲団を敷くくらいの畳があいているだけである。私はたった今の今まで、東北線の寒駅の暗い街をさまよい歩いていたことをすっかり忘れてしまっていた」

聞くとその女主人は目白の大学を出て、郷里の戻って女学校に奉職し、この地で夫に出会ったのだが、夫の両親は旅館を営んでいて、それを引き継いでいまに至るというのである。この人の夫も、国文学を専攻してこの土地の中学校に奉職しているというから、この部屋にある膨大な本は、この旅館を切り盛りしている夫婦の本なのである。
なんと言うことのない、一期一会の話なのだが、私がこの随筆に惹かれたのは、中谷宇吉郎の次の一文を読んだからである。

「私は何だか日本の国力というものが、こういう人の知らない土地で、人に知られない姿で、幽(かす)かに培養されているのではないかという気がして来て、静かに夫人の話に聞き入っていた」

なかなか好きな本が手に入ることのないであろう土地で、それでもなんとかして手に入れて、教養や思考を身につけることを忘れないでいようとする女主人の姿勢にふれた筆者は、感動したのである。そしてそこに、真の国力の可能性というものを感じたのだろう。
この随筆の最後には、敗戦後に書かれた短い「付記」があり、次のように書かれている。

「この話は戦争が第三年に入って、我が国が最後の苦しい段階に乗りかかった頃の話である。その時でも勿論この話は或る意味を持っていたと思われるが、今終戦後国民の多数が浅間しい争いと救われない虚脱状態とに陥っている際に、なるべく多くの人に知ってもらうことも、また別の意味で意義があるような気がする。日本の力は軍閥や官僚が培ったものではない。だから私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは棄てない」

「だから私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは棄てない」と、いま、言うことができるだろうか。私ははなはだ自信がない。

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