忘れ得ぬ人々・第10回「最後の人情派先生」

前の職場のU先生とは、いろいろな委員会で一緒に仕事をさせていただく機会が多かったが、昔かたぎの、人情味あふれる先生だった。
U先生はワープロとかパソコンとかが使えないので、先生が手書きで書いた会議資料を、私がパソコンで打ち直したりしていた。そのうち、私が直接会議資料を作ったりするようになった。
それはけっこうな負担だったが、何かあったときは委員会の責任者としてきっちりと対処していただいたので、私は労を厭うことなく、むしろ全面的に信頼を寄せていた。先生もまた、私を信頼してくれていたものと思う。
一度だけ、先生の講義を聴いたことがある。内容がとても難しかったが、その迫力に圧倒されるほどの、パワフルな授業だった。
学生の面倒見もよく、卒業生がよく先生の研究室に遊びに来ていたようだった。卒業生や学生に慕われていたのは、自らも学生たちと一緒に、大好きな剣道で汗を流していたからだろう。
その一方で、こんな一面もあった。
ある最重要会議でのこと。職場の各部局から、多くの人が集まっている。
朝9時に開始だというのに、U先生の姿が見えない。
私たちのグループの責任者であるだけに、U先生が来ないことには会議を始めることができない。
30分ほどして、U先生がやってきた。
ジャージ姿で、髪を振り乱している。
U先生はその会議の最高責任者の人に、遅刻の理由を説明した。
「知り合いに不幸がありまして…」
えええぇぇぇぇっ???
どう見ても、寝起きに慌ててやってきたとしか思えない姿なのだが、ご本人は大まじめに、
「知り合いに不幸がありまして…」
という言葉を繰り返している。
真相は藪の中だが、朝9時に髪がボサボサのジャージ姿の人が、「知り合いに不幸があった」という理由で遅刻した、というのは、いったいどういう状況になるとそうなるのか、なかなか想像がつかなかったのである。
あとで聞いたところでは、U先生は朝が弱かったともいわれている。

また、こんな思い出もある。
もうすぐ卒業式というある日、卒業予定の学生が、私の研究室に血相変えて飛び込んできた。
「先生!ぼ、ぼく…実は、卒業単位が1単位足りなかったことが判明しました!」
えええええぇぇぇぇっ!!!
「どういうこと??」
「僕の計算間違いで、1単位だけ取り忘れていたんです」
卒業判定会議は2日後にせまっている。
「先生、僕、卒業できないのでしょうか…」
「でしょうね」
本人の計算間違いということは、本人に非があるのだから、救済の余地はない。
しかし、たった1単位のために1年間を棒にふる、というのは、あまりにもかわいそうである。
「ちょっと、成績確認表を見せてみなさい」
彼の成績確認表をくまなく見た。
U先生の講義が「D」となっている。
「このU先生の授業、どうしてDなの?」
「最初は授業に出ていたんですけど、しだいに出なくなってしまって、試験を受けなかったんです」
どうやら彼の成績に「D」を判定した教員の中で、いちばん「話のわかる教員」は、U先生しかいない。
これは、U先生にすがるしかない!
「おい、いますぐU先生の研究室に行くぞ!」
「行ってどうするんです?」
「いまから成績を復活してもらうんだよ!」
私はU先生の研究室に駆け込んだ。運のよいことに、U先生は研究室にいらっしゃった。
「あのう…かくかくしかじかで、何としても2日後の卒業判定会議までに、あと1単位をそろえたいんです」
私はまるで自分のことのように、U先生にお願いした。学生本人は、すっかり意気消沈し取り乱していて、ただ呆然としているだけだった。
「わかった。そういうことなら、明日までにレポートを書いてきなさい。そうすれば、成績を復活させよう。そのかわり期限を過ぎたら、成績は復活させない」
「ありがとうございます!」
かくして、その学生は何事もなかったかのように大学を卒業し、1年後には学校の教師になった。
U先生は、何よりも学生の利益を考え、学生の言い分を聞き、学生のためにはどうすればよいのかを、常に考えていた。そのことは、あのときのU先生の対応で、その学生にも十分に伝わったと思う。そしてそれが、教師となった彼の中にも、息づいていると信じたい。
U先生はそれからほどなくして定年退職された。それ以降はお会いしていない。
1単位を取り残した卒業生にも、卒業以来会っていない。彼はまだ教師を続けているだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?