あとで読む・第27回・朝井リョウ『そして誰もゆとらなくなった』(文藝春秋、2022年)

朝井リョウさん原作の映画『桐島、部活やめるってよ』が2012年に公開された時、「おじさん界隈」が少しざわついた。映画評論家の町山智浩さんは、あの映画に登場する映画部の部長(神木隆之介)を、自分のことのようだと、TBSラジオ「たまむすび」で熱く語っていたのを聴いたことがある。
ライムスター宇多丸さんのラジオ『ウイークエンドシャッフル』でも、この映画に関する特集が組まれ、町山さんとかコンバットRECさんとかのおじさんたちが総出演して、映画の中のだれに感情移入できるか、みたいな話をワイワイしていたような記憶がある。とにかくあの映画はおじさんが何か言いたくてしょうがない映画だったのだ。私はといえば、劇場公開時に観ることはできなかったけれど、後にテレビ放映されたときに観て、おじさんが何か言いたくなる気持ちはよくわかると思ったものである。
聞くと原作の浅井リョウさんは、この小説を書いた当時20歳だったというではないか。それなのになぜあの映画がおじさんたちの心に刺さったのか。映画を監督した吉田大八さんもおじさんだったので「おじさんみが増した」のだろうか?小説を読んでいないので、そのあたりがまだ謎である。
若い知り合いから、浅井リョウさんのエッセイが面白いですよと言われ、『時をかけるゆとり』『風とともにゆとりぬ』を読んでみた。タイトルに「ゆとり」がついているということは、ゆとり世代なのだな、と、あたりまえの感想を抱きつつも、それにしてはタイトルの捩りがおじさん心をくすぐる。3冊めのエッセイ集『そして誰もゆとらなくなった』も同様である。そのギャップがいい。エッセイの内容は、著者自身の内面にあるキモチ悪さ(いい意味で)が存分に発揮されていて、読んでいてバカバカしかった(いい意味で)。
その後にふと思い立ち、小説『正欲』(新潮社、2021年、2023年に文庫化)を読んで、あまりの見事さに舌を巻いた(2023年公開の映画は未見)。最近よくもてはやされる「多様性」という言葉に対して私は理解していたつもりだったが、それがいかに底の浅い理解だったかを思い知らされた気がして、根本から「してやられた」のである。
エッセイを薦めてくれた若い知り合いに、『正欲』を薦め返して読んで貰ったら、「エッセイとのギャップに驚いた」という感想を抱いたようだった。なるほど、エッセイから入るか、小説から入るかで、朝井リョウさんの印象はがらりと変わるのだな。そういえば、ラジオ番組も担当されていたらしいので、ラジオパーソナリティーとしての朝井リョウさんから入ったパターンもあるのだろう。要は、つかみどころのない人ということか。
3冊目のエッセイ集を勢いで買ってしまい、買ってもはたして読むだろうかと反省したが、気がついたらすでに最初の何ページかを読み始めている。

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