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いつか観た映画・大林宣彦『この空の花 長岡花火物語』(2012年)

大林宣彦監督の晩年の傑作であり、「戦争四部作」の1作目に位置づけられる『この空の花 長岡花火物語』は、私にとって5本の指に入る大好きな大林映画なのだが、この映画のことを正面切って書こうとすると、ライムスター宇多丸さんを始め、多くの映画評論家による素晴らしい映画批評がいくつもある中で、どうしても感想が陳腐なものになりかねない。だから今まで、映画の本筋ではないところに注目した感想ばかりを書いてきた。

いつか観た映画・大林宣彦『北京的西瓜』(1989年公開)|三上喜孝 (note.com)

いつか観た映画・演出の系譜|三上喜孝 (note.com)

この映画をくり返し観てきたが、あらためて思うのは、この映画は「声の映画」であり「言葉の映画」であるということである。もちろん大林監督流の魔法のようなめくるめく映像表現はこの映画の見所でもあるのだが、それ以上に言葉やその言葉を発する声に心打たれるのである。
大林監督はライムスター宇多丸さんとの対談で「映画でエッセイを書いてみた」というような言い方をしていたし、監督自身の著作「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」(立東社)でも次のように語っている。

「ペンと紙があればメモもとれるし、手紙も書けるし、日記も付けられるし、なんだってできるのに、なんで映画は劇映画とドキュメンタリーしかないのかと。そりゃとっても不自由じゃないか。じゃあこれはエッセイ・ムービーにしようと。ただ、劇映画の作家がエッセイだけ撮ったってドキュメンタリーと変わらんだろうから、“エッセイ+見聞録”、これでひとつ映画が撮れないだろうかと思った。そう考えたら、おお、『徒然草』がそうじゃないかと。あれはまさに”エッセイ+見聞録”ですよね。そう思ったときに、長岡の郷である意味が活きてくるんです」

今さら述べるまでもなく、この映画は、戊辰戦争以降の長岡の近現代史を、時代をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしながらその重層的な歴史を描いている。「脳がついていかない映画」と評価されるが(というより最初からその意図で作られた映画なのだが)、長岡市を舞台に戦争、地震、水害などの数々の人災や天災に見舞われた記憶は、時系列的ではなく、幾重にも折り重なったかたちで想起される。これが本来の人間の記憶の実感なのではないか。歴史を時系列的に説明することが正しいことだと、いったい誰が決めたのか?

この映画では「日本」という言葉が繰り返し登場する。あらためてこの映画を観ると、こんなに「日本」を連呼していたっけ?と思うほどである。しかも「日本」を「ニッポン」と発音している(ただし劇中では「ニホン」と発音している場面が2カ所だけある)。「東日本大震災」も基本的には「ヒガシニッポンダイシンサイ」と呼んでいる。大林監督が「ニッポン」という発音にこだわったのは、それが国号としての「日本」を意識していたからではないかというのが、私の仮説である。「ニッポン人の古きよき精神文化」と、それに支えられた郷土(古里)の復権をたおやかに唱えることが、戦災や災害からの復興を後押しするのだという、ある意味とてもシンプルな主張が全編を通して語られる。誤解を恐れずに言えば、この映画は究極の古里映画であり、真の愛国映画ではないだろうか。何度か見返すうちに、そんな感想を抱いた。

※『この空の花 長岡花火物語』はCINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)において2024年7月14日(日)〜7月30日(火)の期間に上映(17日,24日(水)は休映)。


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