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妄想8・手塚治虫『ロストワールド』(1948年)

3年ほど前(2021年)の話。

視覚障害者向けに本を音読する奉仕団の方が、うちの職場で作った企画展示の図録の音読をすることになった。私もその本に少しだけ書いているのだが、私の書いたコラムの中で、読めない名前があるので、読み方を教えてほしいという問い合わせが来た。
私はそのコラムの中で、「モンゴル風の名前」として、「伯顔帖木兒」と「都兒赤」という名前を紹介したのだが、この二つは何と読むのか、という問い合わせである。
自分で書いておいて、この二つの名前が何と読むのか、まったくわからない。なのでルビも振らなかったのである。
「都兒赤」が、どうしても「麿赤兒」に見えてしまい、「まろあかじ」と読みたくなってしまう。知ってると思うけれども、俳優の麿赤兒さんね。大森南朋さんのお父さん。
しかし「まろあかじ」と読むわけにもいかず、どう読んだらいいのか、皆目見当がつかない。どうしよう…。
そうだ!私の友人に、モンゴル史の専門家がいることを思い出した。彼ならわかるかもしれない。
でも、この「モンゴル風の名前」というのは、ずいぶんと古い時代の名前なので、はたしていまのモンゴル語で読めるのかどうかもよくわからない。ダメ元で、恥を忍んでモンゴル史の専門家の友人に聞いてみることにした。
するとメールの返信がすぐに来た。

「どんな難題かと思いましたが、一応私の守備範囲なのでひと安心です。
まず「伯顔帖木兒」は、バヤン・テムルです。バヤンが豊かな、テムルが鉄なので、二つの語の合成名です。どちらもモンゴル語です。
「都兒赤」は恐らくドルジです。
そう!朝青龍で有名になったドルジです! モンゴル人がよく付ける名前でかなりむかしから普通に付けています」

ということで、「伯顔帖木兒」はバヤン・テムル、「都兒赤」はドルジだということがわかった。
さすがは専門家、蛇の道は蛇である。私にはどんなに逆立ちしてもわからないけれど、専門家にとっては朝飯前のことなのだ。私はこういう瞬間に、最も感動するのだ。

さて、ここからは私の分析。
この二つの名前をくらべてみると、共通するのは「兒」。どうやら「兒」は「ル」という発音をするらしい。ということは、表音文字なのか?
その仮説でいくと「都」は「ド」、「兒」は「ル」、「赤」は「ジ」ということになる。
「伯顔帖木兒」もその線でいくと、「伯」が「バ」、「顔」が「ヤン」、「帖」が「テ」、「木」が「ム」、「兒」が「ル」となる。

…と、ここまで書いてきて、ハッと思い出した。
手塚治虫の初期の漫画に、『ロストワールド』という作品がある。この作品、大林宣彦監督をして「手塚漫画の一冊、というと、ぼくは躊躇うことなく《ロストワールド》をあげる」と言わしめた初期の傑作である。
この作品の中で、まるまると太った「豚藻負児」という博士が登場する。豚藻負児博士は、あやめという美しい植物人間を作り出し、自分に愛の告白をさせたいと願うのだが、それが叶わない。これは、ヒッチコック監督が終生夢に描き、結局は実現しなかった「メアリー・ローズ」という作品と重なるのだというのである。「メアリー・ローズ」とは、いわゆる「ヒッチコック・ブロンド」と呼ばれた美女たちに、「もしあなたがはげの太っちょになっても、私はちっともかまわないわ」とまるで自分自身に対して愛の告白をさせたい、という願いだけで作ろうとした映画だった。だが結局その夢は叶わなかった。あたかも豚藻負児博士の夢が叶わなかったのと同じように。

話が脱線したが、さて「豚藻負児」は何と読むのか?「ぶたもまける」と読むのである。豚も負けるくらい太っていて醜い男という意味である。手塚先生は、なんと残酷な名前を付けたのだろう。
それよりもここで大事なのは、「児」を「る」と読ませていることである。
さらに調べていくと、「加答児」という語を見つけた。「カタル」と読み、いわゆる「腸カタル」などの時の「カタル」である。
そうか、手塚治虫は、もともと医学生だったから、「カタル」を「加答児」と書くことを知っていて、それで「児」を「る」と読ませることに抵抗がなかったのだな。
では、「加答児」を「カタル」と読ませるのは、そもそもなぜだろう?

…という疑問が次に浮かんだが、これも「蛇の道は蛇」で、専門家に聞いたらすぐにわかるのだろう。

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