忘れ得ぬ人々・第3回(前編)

「ふとしたとき、どうしているのかな?と気になってしまう。自分の中に爪跡を残している。でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、あなたの「忘れ得ぬ人」を送ってもらっています」
という、TBSラジオ「東京ポッド許可局」のコーナー「忘れ得ぬ人々」にヒントを得て書いています。

私が韓国に留学していた、2009年12月のことである。
所用で、ある近郊の大学に行ったときに、用務先の教授の研究室でお茶をいただいていると、「そういえば隣の研究室に、日本人の先生がいるんですよ」と言われ、せっかくなので、その先生と名刺交換をした。ここではK先生としておく。見たところ、私よりも10歳以上年上のおじさんである。
数日後、私の携帯電話に、そのK先生から電話がかかってきた。
「突然ですけど、先生(私)の奥さんと、私の妻…、韓国人なんですけどね、に、共通の知り合いがいるんですよ」
なんとも寝耳に水の話である。そのいきさつを聞いてみると、その日、K先生がご自宅に帰って、「今日、こんな日本の研究者が来た」と私の名刺を見せた。その翌日、奥さんに、日本の親しい友人から電話がかかってくる。話のついでに、「昨日、夫の大学にこういう人が来たのよ」と、私の名前を出したところ、「その人の奥さんと、知り合いよ!」ということになったらしい。
世の中、そんなことがあるのか、とビックリした。
「そういうわけなんで、うちに遊びに来ませんか」とK先生。
「そうですね。これも何かの縁ですね」
「明日はどうですか?」
ずいぶん、急な話である。
「明日は、別の方と約束があるんですよ。あらためてこちらから電話します」
「そうしてください。早くいらした方がいいと思いますよ。いまだと、『越乃寒梅』が飲めます。早くいらっしゃらないと、私が全部飲んじゃいますから」
「わかりました。できるだけ早くうかがいます」
そして、何日か後にようやく時間ができて、同じく韓国に留学していた妻と2人で、K先生のお宅に遊びに行くことになった。
途中の場所で待ち合わせて、そこから車でご自宅に連れていってもらったのだが、ご自宅は、山のふもとの山荘といった趣の建物だった。
K先生は、大学で宗教学を専攻された後、ふとしたきっかけで、韓国で日本語を教える先生となった。そこで、韓国人の女性と知り合い、結婚した。奥さんは日本の古典文学を専攻していて、日本に留学経験もある。妻との共通の知り合いというのは、その時に同じ大学で一緒に勉強した友人、ということらしい。
「ひとつ残念なお知らせがあります」
「何でしょう?」
「『越乃寒梅』は、私が全部飲んでしまいました」
「そうかと思って、日本酒を持ってきました。いただき物ですけれど」
家の中には煉瓦造りの暖炉があり、そこに薪をくべながら暖をとっている。そして、大きなステレオのスピーカーと、プロジェクタ。「レコード」(CDではない)でクラシックだって聴けるし、大画面で映画を見ることだってできる。絵に描いたような素敵な家である。
聞くと、そもそもこの家は、あるお金持ちが結婚することになったときに、別荘として建てたものなのだそうだが、あっさりと離婚してしまったため、この別荘が手放されたのだという。
そしてこのおしゃれな一軒家で、ビールや焼酎や日本酒を飲みながら、奥さんが作ってくれたおでんをいただく。久しぶりに日本のおでんの味にふれた。
お酒を飲みながら、いろいろなお話をうかがう。K先生は、一見偏屈そうに見えて、見たままの偏屈な人だった。まさに自由人、といった感じで、山里の一軒家に住みながら、ゴルフをしたり、釣りをしたり、家庭菜園をしたり、と、遊びを楽しんでいる人だな、という印象を受ける。奥さんもまた、実に自由な人である。英語の勉強のために留学しようと、とりあえず片道の飛行機のチケットだけ買って、イギリスに行った話や、長年勤めた大学を、「ちょっと疲れた」という理由でやめてしまった話など、私たちにはとてもまねができないことばかりである。
気がつくと、夜の9時。お昼の12時にお邪魔してから、9時間もおしゃべりが続いた。夜遅くなったので、車で自宅近くまで送ってもらった。
「大晦日はウチでどうぞ。一緒に紅白歌合戦を見ましょう。年越しそばも食べましょう」
別れ際、K先生はそうおっしゃった。そしてほんとうに、大晦日をK先生のお宅で過ごすこととなる。(後編に続く)

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