あとで読む・第21回・大林恭子『笑顔と、生きることと、明日を 大林宣彦との六十年』(春陽堂書店、2023年)

10代の頃から大林宣彦監督のファンだった。作品だけではない、大林監督の存在自体のファンでもあった。当時、監督はさまざまなメディアに登場し、雑誌や本の中でもさまざまな発言をしていて、その言葉の一つ一つが、今風に言うならば私の「心に刺さった」のである。
その思いはかなり大人になってからも変わらなかった。晩年の名作『この空の花 長岡花火物語』(2012年公開)のDVDの特典映像で、当時の長岡市長と対談をしているのだが、たしかそこで、「自分が作った映画が、ひょっとしてだれかを傷つけているのではないかと思うことがある」という趣旨の発言をされていて、巨匠になってもそのように思うことがあるのか、と驚いた。と同時に、映像表現というのは、だれかにとっては時に暴力的存在である、そのことを常に自覚しておかなくてはいけない、という意味なのだろうと私は勝手に解釈をした。
翻って考えてみると、私が職業としている「学問」「研究:」というものも、多分に暴力的要素を含んでいる。自分にとっては正義のつもりでも、だれかにとっては心を踏みにじられていると感じるかもしれない。そのことに気づいたとき、「学問」「研究」に対する見え方が変わったのである。
いまから5年前(2018年)、大林監督にインタビューするという機会をいただいた。当時作っていた『マーシャル、父の戦場』(みずき書林)の編者・大川史織さんと編集者・岡田林太郎さんのお計らいで、私もその末席に連なる幸運に恵まれたのである。ファンであることを公言するって、大事だ。
しかしそのときはガチガチに緊張してほとんどお話しすることはできず、ひたすら監督の語りを聞くことに終始した。もちろん、それだけでも十分に幸福な時間である。
大林監督にお会いする機会がもう一度訪れた。2019年4月27日の山形美術館での大林監督の講演会である。山形は私が以前に勤務していた思い出深い土地だし、山形美術館にはその頃から知っている若い友人も勤めている。これは聴きに行かない手はないと日帰りで講演会に参加し、そのときに初めて、監督のパートナーである恭子さんにお目にかかった。若い友人のお計らいで、講演会の後、監督夫妻を囲む懇親会にも出席して、その時初めて恭子さんとご挨拶をした。「私、昨年監督にインタビューさせていただいた者です」「あら、そうでしたか」そこから、まるでイタいファンのように恭子さんに思いの丈をぶつけた。
懇親会の後半、スタッフのお計らいで大林監督の隣に座らせてもらったのだが、やはり緊張してなかなかお話しできない。
(監督)「いまお店に流れているBGM、たしか僕の映画で使ったよね」
(私)「『あした』ですね」
(監督)「パキさん(藤田敏八監督)がテニスの審判役で僕の映画に出てくれたことがあったね。何だったっけな」
(私)「『瞳の中の訪問者』ですね」
と、せいぜいこの程度である。
最終の新幹線の時間になり、監督夫妻にご挨拶してお別れする。会場を出ようとして振り向くと、お二人が私に向かって手を振っていた。その姿がいまでも忘れられない。
…いささか思い出に浸りすぎた。恭子さんが語る、恭子さんと監督についての本。何よりも待ち望んでいた本である。

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