忘れ得ぬ人々・第2回

「ふとしたとき、どうしているのかな?と気になってしまう。自分の中に爪跡を残している。でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、あなたの「忘れ得ぬ人」を送ってもらっています」
という、TBSラジオ「東京ポッド許可局」のコーナー「忘れ得ぬ人々」にヒントを得て書いています。

今から35年ほど前、大学2年生の時、ある人の紹介で、ジュニア向けの本を書かせてもらうことになった。ジュニア向けに、ある種の教養をわかりやすく書く、というのがそのシリーズのコンセプトだった。当時、私はふつうの大学生で、もちろん本など書いたことはない。つまりまったくの素人である。最初はゴーストライター的な役割かと思っていたのだが、著者として名前が出ることになってしまった。
その内容は、小学校6年生の少年が古い時代にタイムスリップし、そこでさまざまな出会いを経験しながら成長していく、という趣旨の物語である。このシリーズの他の本がノンフィクションとして書いていたのに対し、私はフィクションを交えながら書くという無謀な試みをした。
今思うと、穴があったら入りたいといった内容である上に、今の私とはだいぶ考え方が異なっていて、読み返すのも恥ずかしく、当時この本を手に取った「ジュニア」がいたとしたら、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
編集を担当したのは、私より10歳くらい年上(つまり当時30歳くらい)のSさんという女性の編集者だった。初対面で名刺をいただくと、その方は出版社の人ではなく、そこと契約している編集プロダクションに所属している人だとわかった。なるほど、本はそのように作られることがあるのかと初めて知った。
反対に、Sさんはこの得体の知れない大学2年生を見てどう思ったのだろう?「こいつでほんとうに大丈夫なのか?」と当初は訝しんでいたに違いない。
当時はパソコンもワープロもなかったから、市販の原稿用紙に鉛筆を使って下手な字で原稿を書いた。まるで小学生の読書感想文のような体裁である。そんなものを読まされたSさんは、どんな気持ちだったのだろう。
もちろん携帯電話もなかったから、Sさんからは自宅に電話が来て、しばしば呼び出された。少しずつ原稿を書いていって、できたところまでをSさんに読んでもらい、コメントをもらいながら直していく、というやり方だったと思う。そうやってディスカッションをくり返しながら書き上げていったのだ。
最初は私のことを訝しんでいたと思われるSさんとは、だんだんと打ち解けるようになり、アイデアもどんどん浮かんだ(ような気がする)。私は文章を書くことが楽しくなった。楽しみながら書くことができたのは、編集者のSさんと一緒に作り上げていく楽しみがあったからだろうと、今にして思う。
出版された時は嬉しかった。あとはどれだけの人に届くかである。少し経って、その本を出版した出版社の人から電話が来て、「あの本、とてもわかりやすかったので、今度はうちで出しているジュニア向けの雑誌にも原稿を書いてください」という依頼が来た。私はその頃からライターとして身を立てていこうかと本気で考えたりした。結局その夢は叶わなかったけれど、今、研究者稼業をしているとたまに居心地が悪くなり、しばしばライター気質が顔を出す。というより、ライターのつもりで今の仕事をしている。
Sさんと一緒に本を作っているあの時間は、私にとって青春だったのかもしれない。それ以来一緒に仕事をすることはなかったし、会うこともなかった。でもSさんのフルネームはまだ覚えている。Sさんにもいい思い出になってくれていることを願っている。

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