編みたい本・第1回

10代の頃からのファンだった映画作家の大林宣彦監督に直接インタビューする機会をいただいたのは、2018年5月のことである。そのインタビューの内容は、大川史織編『マーシャル、父の戦場』(みずき書林、2018年)の中で公表されている。
インタビューを目前にしたある日、家の本棚を整理していたら、1989年に日本で公開されたイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のパンフレットが出てきた。私が大学2年生の時に観た映画である。
そのパンフレットに、大林宣彦監督が書いた「ニュー・シネマ・パラダイス」評が載っている。私はこの文章が大好きで、映画を観たあとにこの文章を読んで感銘を受けた。
映画評としてだけではなく、単体で読んだとしても、分析力と叙情性を兼ね備えた、範とすべきエッセイで、こんなエッセイが書けたらなあと、若いころからお守りのように持っていたのである。
このエッセイがあまりにも自分の文体に影響を与えたので、監督へのインタビューが終わった後に、このパンフレットをお見せして、「僕はこのエッセイに影響を受けたんです」と直接お伝えしたところ、
「そんなの書いたっけ?ちょっとコピーさせて」
とおっしゃった。書いたご本人が把握できないほど、大林監督はさまざまな媒体に短い文章を寄せていたのである。
このエッセイでとくに印象深いのは、映画監督と映画との出会いを、「観客席派」「小型ムービー・キャメラ派」「映写室派」の三つに分類するくだりである。

「映画監督と映画とのそもそもの出会いには、大きく三つあると思う。一は観客席派。「ラスト・ショー」の監督P.ボグダノヴィッチもその代表であり、元々はもちろんファンから始まるわけだが、どちらかといえば作家としては知的に映画とかかわるようになる。二は、自らも8ミリなどの小型ムービー・キャメラを廻してアマチュア作家として出発する。S.スピルバーグなどがその代表例で、こちらはいうなら映画プラモデル派だ。遊びの精神に充ち様さまな映画を技術的にも創意工夫して生み出していく。例えば、模型鉄道マニアの映画版だと考えていただければいい。そこへいくと、この第三の映写室派というのは、少年時代にいきなり本物の蒸気機関車の罐の前に連れ出されたようなものだ。熱さや匂いや光や音や炎などの活力を全身に浴び、映画という巨大なものの存在をまるごと骨の髄まで滲みこませて自らの生を生き始める。(中略)
もちろんこの少年(注…この映画の主人公「トト」)も人並みに観客席に坐り、ムービー・キャメラを手にしたりもする。しかし観客席ではすぐに後ろをふり向いて映写窓の光源に映画の生命を見ようとする。映写装置こそが実存であり、スクリーンの上の映像は所詮、影なのだ。フィルムが途切れたりしたら、すぐに消滅してしまう。(中略)いわばリアリストとしての痛みを知っている。(後略)」

この文章を読んでからというもの、この三類型がずっと頭の中に残っていた。以前、映像の修復をしている専門業者の人と話をする機会があった。映像の修復をしている会社の中には、「フィルム」を偏愛する人がいるという話を聞いて、大林監督のエッセイを思い出した。
「映像の世界で仕事をする人には、映画を観るのが好きな人と、映画を撮るのが好きな人と、映写機やフィルムが好きな人と、3つくらいのタイプがあると聞いたことがあります」
と私が言うと、その方は、
「たしかにその通りですね。うちの会社には、それぞれいます」
とおっしゃっていて、やはりそうなんだなあと、そのとき思った。

話を元に戻すと、大林監督は、実はこうした短くて味わい深いエッセイがとても多い。手塚治虫の初期の漫画『ロストワールド』が復刊されたときに、巻末に書いている解説も秀逸である。そのほか、自身の映画の原作小説の文庫本に解説を書いていたり、あるいは雑誌『シナリオ』に自身の映画の脚本が掲載されると、監督は必ずと言っていいほどそこに映画への想いを寄せた短文を寄せていたりしていた。そうした短文作品は、大林監督の著述の歴史から漏れてしまっていることが多く、それがとても惜しい。私はそのすべてを集めているわけではないので偉そうなことは言えないが、そうした珠玉の文章を集めた本ができたらなあと夢想する。

過去のメールを探っていたら、監督へのインタビュー直後に、『マーシャル、父の戦場』の編者の大川史織さんと、みずき書林の岡田林太郎さんに、私がこんな内容のメールを送っていた。
「大林監督の書かれた文章のアンソロジー(選集)を個人的にはつくりたいと思っているのです。たとえば文庫の解説や映画評論など、実にさまざまな文学論や映画論を書いておられますが、それらが一冊にまとめられたことがないので、そうした「他者に関する語りの文章」を集めた本ができればなあと思ったりします。これ自体が立派な文学論であり、映画論なのです」
いま読みなおすと、なんとまあ身の程知らずの提案で恥ずかしくなるのだが、その想いは、いまも変わっていない。

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