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イキルトリコでしていること

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自分がしている補完代替療法などを載せています。 商品を載せていますが、アフィリエイトの手続きはしていません。
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#子宮体癌ステージ2

「イキルトリコ」の由来

出血性ショックになって緊急手術をした日の事を詳しく書く勇気はまだありません。 ただ、あの日があったからこそ生への執着が執拗に芽生えたというか… せっかく生きながらえたのだから、しっかりと生きようって。 色々検索をしまくり、色んな情報を入手して試し、TC療法1クールを終えて数日経った頃、 私、生きる虜になってる。 ふいにそう思ったのです。 名前としてではなくテーマとして付けました。 漢字で書くと重た過ぎるかなと思い、カタカナにしました。

再発と余命について考えた

私は子宮摘出後に自分がリンチ症候群だと知りました。 父の遺伝子を受け継ぎました。 51歳まで発症しなかったから、ま、いっか。 もっと早く発症していてもおかしくなかったし。 ということで、私の場合、子宮体がんの再発だけでなく、これからまた違う癌を発症するかもしれないという恐怖がもれなくついてきます。 術後、母は主治医から説明を受けた時に「リンパに転移は?」とすぐに聞いたそうです。 父が何度も癌になって手術をしていたから。 私が術後全覚醒した時に母はすぐに「リンパに行って無かっ

あれこれ何が悪かったのか考えた結果

癌になってしまった事は仕方ないけれど、ついつい何がいけなかったのか考えてしまいます。 私の場合、リンチ症候群だから仕方ないのかもしれませんが、癌にならない人もいるわけで。 緊急手術をした後、入院期間1週間で色々考えました。 食生活? 晩酌? 三交替の看護師の仕事? 職場のストレス? 不登校気味だった娘の事でのストレス? コロナ禍での自粛による運動不足? アルコールが原因なら禁酒すればいい。 三交替が原因なら部署異動すればいい。 職場のストレスが原因なら、これまた

死に囚われていた頃

私の病気は突然の大量出血から始まりました。 簡単な経過はこちらの記事に書いています。 notoを始めたきっかけはこちらの記事に4コマ漫画形式で描いています。 イキルトリコという名前にした理由はこちらの記事に書いています。 この頃、ネットで検索しまくって落ち込んだりして… 見てはいけないと主治医には言われなかったですけど、見ない方がいいって知ってはいたけれど、安静期間が長過ぎて、ついつい見てしまったんですよね。 そんな中で心境の変化をもたらしたのが…この記事に書いてあり

死ぬのが怖かった理由

大出血した時、さすがに死を覚悟しました。 娘の事を第一に考えました。 このまま死んだら娘に会えなくなる。 思い出すだけで涙が出てくる。 私にとって一番大切なのは家族。 娘と夫にもう会えなくなる恐怖。 嫌だ! 絶対に死にたくない! 自分自身がこの世から居なくなってしまう恐怖よりも、家族と別れる恐怖の方が優っていました。 退院して、久々に自宅に帰って思ったのが、 「夫をこの家に一人で寂しく住まわせるわけにはいかない!」 3年前に家を建てたばかりだったのもありますが。 家

癌になる前と癌になった後の心の変化

私の父は癌に何度も何度もなった人です。 子どもの頃から色々ありました。 父の兄弟も癌で亡くなりました。 だから、私も癌になるんだろうなと思ってきました。 癌になるかもしれないので、20歳頃に生命保険にも入りました。 自分が早くに死んだら両親が歳を取ってから面倒をみることが出来なくなるので、保険金の受け取り額を多くしたりもしました。 癌になってしまう前にやりたいと思ったことはやっておくようにしてきました。 でも、心の片隅にいつも「癌になって死ぬかも」という思いがあり、心から楽し

癌封じ&足の守護

抗がん剤6クール目が終わって骨髄抑制期間が過ぎてから、娘のアパートに行きました。7ヶ月ぶりにです。 娘の引っ越し中に大出血して、急遽地元に帰って、それからずっと検査と治療の日々でした。 昨日は娘はずっと大学の授業で居なかったので、私は大阪観光をしました。 と言っても、癌封じの神社に行ってみたんですけどね。 地元では癌封じっていう神社やお寺って…あまり聞かなくって。 大阪はどうなのかなって検索をかけたら石切劔箭神社がHIT! お参りする人がたくさんいました。 御百度参りをし

ゲーム様様

退院後、抗がん剤前の療養期間中、生き延びた喜びはありましたが、今度は転移&再発の恐怖に囚われ始めました。 夜はちゃんと眠れず、何度も目が覚めてしまう状態が何日も続きました。 挙句の果てには、亡き父が夢枕に立ち、悲しそうな目で私を見てくる始末。 このままではいけないなと思い、YouTubeでお笑い芸人さんの動画を見て、無理やり明るい気持ちになろうとしてみたりしました。 でも、なかなか心の底から笑えない… イライラは続きました。 そんな中、ずっとしていなかったゲームの事を思い出

いつ死ぬかなんて誰にもわからない

何の話をしていた時だったかな? 夫がこう言いました。 「死ぬのは俺の方が早いと思うし。」って。 私がこの病気になった後の発言です。 私は不思議に思ってこう言いました。 「私の方が先でしょ?」って。 「再発・転移したら私の方が先に死ぬと思うよ。リンチ症候群確定したし。」って。 そしたら、夫が「俺の仕事って、いつ死んでもおかしくない仕事だし。」と。 確かに危ない仕事ではある… でも、危険な目に遭ってきたけれど、死ぬことは今までなかったし。 きっとご先祖様に護られているんだろう

遺伝子スイッチオン

以前の日記でこの本のことを書きました。 この本を読んで、遺伝子をスイッチオンにするために自分の体に「ありがとう」と言い始めました。 でも、いつの間にか、 こんな私が遺伝子をスイッチオンにする事ができるのか不安になりました。 凄い人しかスイッチオンにできないんじゃないかって。 だから、もっと簡単にスイッチオンに出来る方法はないかと検索をかけました。 あはは(^◇^;) エピガロカテキン-3-ガラートとな? 一番多く含まれているペットボトルのお茶は? そりゃ〜、飲んじ