コメディアンに似た何か

 
 
 以前、翻訳講座の先生と話していて、「あなたはどこに行ってもマイペースでいいねえ」と言われたので、「いえいえ、その場になじもうとして全エネルギーの80~90%くらい使ってますよ、仕事でも講座でも。それでも、ずれてるんじゃないかと思ってしんどくなって辞めてしまいます」と言ったら、「じゃあ、講師になるといいですよ」ということだった。話の展開がよくわからずに聞き返すと、「講師は教室でたった一人の存在であり、元々浮いてるじゃないですか。だから大丈夫」とのことだった。
 普段から、その人が本気で言っているのか冗談なのか、私にはよくわからないところがある。
 きっとそれは、私の適職についてのアドバイスだろうと受けとめた。まさか、自分が通っている講座で、講師のかたに、「すいません、浮きたくないので次回から私に講師をかわってもらえます?」とか言うのはありえなさそうだから。
 そう思っている私の耳に、その人の続きの言葉が響く。「わたしもこう見えて、子どもの頃は〇〇だったんです」
 その人は講師歴が長い。その人の講座を私も長らく受けていたけれど、テンポよく話し、知識が確かで仕事の経験も豊富で、人気のある講師だ。
 ただ私はどうしても「〇〇」の箇所が聞き取れなかった。すぐに聞き返したらもう一度言ってくれたけど、やはり聞き取れなかった。
 その人が私の今後のことについてアドバイスを語り始めてくださったので、一通り最後まで話を聞こうと、「〇〇」のことはいったん脇に置いた。「〇〇」は話の本筋ではないかもしれない。私の人生に必須のものではないかもしれない。これ以上何度も聞き返してまで追求するべきではないだろう。そう自分に言い聞かせつつも、ずっと気になり続ける。語末は「-dian」であるようだ。でも、「ディアン」よりは「ジアン」に近い発音に聞こえる。
 「コメディアン」に聞こえるが、文脈上おかしい。ペシミスティック(悲観的)とオプティミスティック(楽観的)ほどの対比はなくとも、むしろ「コメディアン」の対比となるような語がこの箇所には入るはずではないか。
 人前で話せない、とか、おもしろいことが言えない、とか、そういう意味の語ではないか。
 あたりをつけるが、単語が思い浮かばない。「di」が「ジ」として定着しているのなら、かなり昔に英語から日本語のカタカナ語になった可能性が高く、それなのにその単語を私は知らないなんて。基礎知識として、なおさら知っておきたい。
 その人のことも正確に知りたいし、その人が言ったことも正確に知りたいし、その語が何であるかも知りたい。
 よって、その人の話が一段落したとき、私は言った。「すみません、どうしてもさっきの箇所が聞き取れず、しつこくて申し訳ないですが、なんと言ってくださったのでしょう。『こう見えても子どもの頃は〇〇だった』のところです」
 「ああ」とその人は笑って、さっきよりもものすごくゆっくりくっきりはっきり発音してくれた。それで聞き取れた。引っ込み思案。


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