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You were born to become a teacher.

 Beruf (ベルーフ) という就職情報誌があった。雑誌の宣伝文句か、誰かが教えてくれたのかは覚えていないが、「ベルーフ=天職」ということを知り、私は「天職」という言葉を初めて意識的に捉えたのだと思う。この雑誌は1982年創刊なので、私が10歳のときのことだ。
 でも、今、調べてみると、ドイツ語の beruf というのは、基本的には英語の occupation や profession のことで、普通は「職業」と訳される。日常的に使われている単語なのだろう。ただ、優美なことば、洗練されたことばとして「天職」の意味もある、ということのようだ。
 日本語の「天職」に話を戻すと、辞書上の意味の1つは、その人に合った・ふさわしい職業、というもので、あまり特別感はない。
「俺、これが天職だと思う」
「先輩、僕もです」
「私も!」
こんな会話が、職場でもカジュアルに交わされそうだ。
 ただ、そんな話は聞いたことがない。
 やはり、「天」という言葉に、わたしたちは「神」や、何か特別なものを感じるのではないか。
 そこで、前置きは長くなったが、「天から命ぜられた職」という意味での天職について、書いていこうと思う。
 
 「今の仕事が天職です」
とはっきり言える人は、幸せだ。私はというと、そこまで確信がない、というか、よく分からない。
 現在私は、海外で学ぶ生徒たちに、英語や国語を教えている。良い授業ができた、と思うこともあるが、逆もある。ただ、
「完璧な授業だった。もう学ぶべきことはない」
と思えたことは一度もない。そして逆に、そう思えないからこそ、この仕事を天職と思える日が来るのかもしれない、と思う。
 つまり、毎回毎回、何かしら反省点が出てきて改善をし続ける、というのが私にとっての「天職」の一つの要件だ。それは、人間が天に近づこうとして大地に石を積み上げ、空に手を伸ばし続け、それでも天に届かない、というのと似ている。(少し、格好良く言い過ぎたかもしれない・・・。)
 
 私は、「四十にして惑わず」の逆をいった。40歳を目の前にして、まったく畑違いの英語講師になろうと思い立ち、前職を辞めた。そして、英語の教授資格を取るために渡豪し、シドニーのカレッジで「子どもに英語で英語を教える資格」と「大人に英語で英語を教える資格」を取得するコースを受講した。
 子どものほうのプログラムでは、1週間、シドニー市内の幼稚園で、幼稚園の先生方を手伝いながら子どもたちと接するのだが、そこでの体験がとても楽しく、ためになった。そこで私は、コース終了後、園長さんにお願いして、学生ビザが切れるギリギリまで、約1か月間、ボランティアスタッフとして働かせてもらった。
 マドレーヌシリーズの絵本を買って準備して、園児たちに読み聞かせをしたり、クリスマス会で子どもたちが歌うのに合わせて、保護者の前でオルガンを演奏したりと、さまざまなことをやった。週に一度やってくるテニスコーチのアシスタントコーチとして、子どもたちとミニテニスをしたのも、良い思い出だ。10年以上経った今思い返してみても、自然と笑みがこぼれる。
 また、カレッジでは、英語圏以外のさまざまな国籍の学生が一般英語を学んでいたのだが、彼らが放課後に任意参加する英語クラスを、こちらもお願いして数回、受け持たせてもらった。
 タイトルの "You were born to become a teacher." というのは、ある英語クラスを教えていたとき、カレッジのマネージャーが言ってくれた。気持ちが萎えそうになったとき、また前を向くきっかけになる大切な言葉だ。
 私は、自分の中から生じた衝動から、幼稚園のボランティアをやり、英語のクラスを教えた。自分から何か積極的にアクションを起こしていく、というのが私の考える「天職」のもう一つの要件だ。
 
 いろいろと書いてきたが、このエッセイをきっかけに、自分を顧みることができた。
 生徒が、もっと楽しく、受けて良かった、成果が出た、と思う授業を目指して、新たな取り組みをしていこうと思う。
「天職」と思える日が来ることを信じて。

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