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日下部かおりと西浦颯

私は、続く極度の睡眠不足と浅い酒に眩む眼で、PCのディスプレイに浮かぶ、日下部かおりの愛してやまないイーヴォ・ポゴレリッチの動画、ベートーヴェンの最期のソナタを繰り返し観ていた。私にとって日下部は、だれが何といってもあの記念碑的CD、ZRODのひとだ。今回もメンデルスゾーンのトリオ一楽章だけ、日下部の許可を得て貼付させてもらったから、そちらを聴いていただきたいが、一聴、云われるポゴレリチの音楽とは対極の快活な「健康さ」がある。いまはそのギャップがわかる。「自分の音楽」に対する強烈な憧れのようなもの… これ以上はZRODをお聴きいただいた方々の感性(音楽はひとびとの感性・好き嫌いであり、理屈、理論ではない)にお任せして、当夜の演奏に向かおう。

Home Town Duo ラテンの風にのせて ピアノ&サクソフォーン同日二日公演

2023.7/16 長野県飯田市 SALON De TATSUH

Piano 日下部かおり Saxophone 西浦颯

ずいぶんと早く会場に到着してしまった私は、長髪の雰囲気のある青年がピアノで弾くこなれたタンゴをしばらく聴いていた。やがてやはりタバコを吸うという彼とともにした。数語のち、英語圏の人特有の日本語の詰まり方をする彼に、英語に切り替えてみた。するとむしろ達者な日本語に、How do I call you?といういささかくだけた問いかけにもTatsuoと答えてくれた。米仏混血でいまロンドン留学中、クラシックのピアノを学んでいるが感覚は、というかやりたいのはジャズだという。迷わず私たちのライブに招待した。爽やかで素直な青年だった。タツオのイメージが、私のタツの第1印象を作り上げたのも無理はなかろう。時間ギリギリまでタツオのBGMは続いた。

1st映画『アラジン』よりホール・ニュー・ワールドから。遠鳴りし、打鍵してから伸びるきらびやかなピアノの音は相変わらずだ。会場のサイズを意識してサブトーン気味に入るアルトサックスの音色は柔らかい。そしてmfからfにかけては艶やかに光る。囁きあうふたり… 魔法の絨毯で旅をしようというメッセージだとは、おもにMCを担当したサクソフォン西浦の言葉。続いておなじみモリコーネ、ニュー・シネマ・パラダイス~愛のテーマ。ベヒシュタインが調律の難しいデリケートな楽器なのが見て取れる。サキソフォンのとても美しいサブトーンからきらびやかなfへ、そして囁き歌いあうピアノのアルペジオ。深く響く中低音。私の胸にこみあげてくるものがあった。泣きのcoda.そしてソリストの腕の見せ所、チャルダッシュ。とてもさらってあって健闘したサクソフォンの指。フラジオはFis以上に使っていなかったか?ジャズでいうグルーブ感のあるとてもいい演奏だった。日下部からパリ6人組のひとりという紹介もあったが、いまはもうその名をだれもが知っているだろうプーランク、即興曲。ここでも日下部のレパートリーの幅広さには、やはり驚く。ZRODで見せたロマン派、民族学派への強い親和性とこういったエスプリと…ピアノのすぐわきに陣取った私は、日下部の際めて細やかなペダリングを楽しんだ。ミヨー、スカラムーシュ。私などがクラリネットで悩まされた、でも聴くぶんにはとても楽しいビフ。モデーレ、輝かしいピアノ、構築されるサクソフォン!丁寧な音作りのブラジリア、で1st終了。

2ndはイパネマの娘から。とてもスローなボッサ。西浦が書き譜かなと思わせながら、クラッシク奏者としては極めて立派にソロパートをやってのける。けだるい夏の夕暮れ。ブラジルのショパンと呼ばれるナザレのブラジル風タンゴ、オデオン。日下部特有のリズム感が光る。深いタッチ。私はここで日下部のポゴレリチへの偏愛を見た。カルロス・ガルデルの想いの届く日。最初のメロディに私は懐かしい思いに惹きこまれた。サブトーンをちゅうしんに繊細なサクソフォン、楽器全体が鳴るピアノ!プログラム最後はピアソラ、リベルタンゴ。ソプラノ・サックスの緊張度がとても高い!私はメモを取るのをやめて、音楽、リズムに身をゆだねた。アンコールはオビリオン、ムーンリバー。オビリオンでのmfからfへの輝かしさ、ムーンリバーでの二声のみごとなヴァリエーションなど書くべきことはあるが、エンターテイメントに徹した二人にこれ以上は無粋だろう。

とても楽しい夜だった。うまいビールでも飲むか!


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