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山本直純の天才

さて、この「傑作の森」と題された「作品」、何人のひとが真の価値にお気づきだろうか。私はここの山本直純の「代表作」と「代表的演奏」を見るのだ。

ベートーベンの第五から第一楽章、ドボルザークの「新世界より」から第二楽章、チャイコフスキー「悲愴」からマーチ、ブラームスの一番から終楽章と無造作に並べただけのオムニバス、果たしてそうだろうか。

このオーダーが長い交響曲の歴史、オーケストラによるソナタの最もオーソドックスな形を示しているのはまず明らかだ。第一楽章でソナタ形式の提示がされる。しかも歴史上もっとも鮮やかなソナタ形式、「運命の動機」だけで一曲が支配されるソナタ形式。むだのない筋肉質な音楽づくりで楽曲は進む。第二楽章、ハイドン以来の歌謡楽章。かつても今もなかった高い精神性の「新世界より」第二楽章だ。私は何度聴いても涙ぐむ。そうして伝統的な舞曲でなくマーチ。この意図は専門家諸氏には明らかだろう。そうして終曲、ここだけ「大宇宙」とタイトルされるブラームス第一交響曲のフィナーレ。序盤からアッチェルしていった果ての速いテンポは私には意味がわからないが、天才には天才の閃きがあるのだろう。

ここまで、山本直純の棒の技術は目を瞠るものがある。年譜をたどれば、山本はまだ30代半ば、「師」である斎藤秀雄をはるかに超えた棒の技術と音楽性は、まったく瞠目に値する。

ここに日本の誇る稀代の天才指揮者山本直純の最高の成就がある。私は時間をかけてこの天才の光と影を追ってみようと思っている。


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