ユーミンの歌でずっと思っていた事
いつもとはかなり違う話題ですが、この前ランニングに持って行ったMP3にユーミンしか入ってなかった事からこの話題に。。(^^;)
ベルベット・イースター(ひこうき雲)
LAUNDRY-GATEの想い出(紅雀)
キャサリン(流線形'80)
昭和後半に東京の多摩地区で育った(今もいる(^^;))私には、上記の初期のユーミンの歌には在日米軍基地(とりわけ旧立川基地)の香りがする。
ランドリーゲートは、実際旧立川米軍基地に実在したのでそれはともかく、他の曲は?なんだけど。。
実家では、私が子供の時、お買い物と言えば、車で立川に行っていた。駅前の信号で待っていると、商店街に外国人がたくさん溢れていた事を覚えている。
この記憶があったので、ベルベット・イースターなどは、聞いた瞬間、これは立川基地にお友達がいるなと直観した。この時代、イースターは、聞いた事があっても、まだどんなイベントだか知らない人が多かったはずで、しかも卵とは関係ない歌詞で、西洋人(多分アメリカ)の知り合いでもいなければ、こういう歌は出て来ない。ネイティブに英会話を習う機会もあまりなかったこの時期、気軽に外国人と付き合える(その前に知り合う機会があれば、の話だけど)場所と言えば、多摩地区では立川か横田の米軍基地が最も手っ取り早い、と思ったのよね。
そして、キャサリンを聴いた時も、もうその瞬間、きっと立川駅だな(推測(^^;))と思ってしまった。よく聞くと、歌詞に「夏の終わりの風が海に抜ける頃」と出てくるけど、海が出てくるから海の近くとは限らない。生粋の(^^;)多摩民だからこそわかってる(笑)けど、今でこそ圏央道とかあるけど、当時この地域から海に出るのはそこそこ大変で、でも行けない事はないから余計に、好きな人は海への憧れはとても強かったのよ。
もう1つ思ったのは、LAUNDRY-GATEの想い出の「あの子」が、おそらくキャサリンなんだなと。(これももちろん推測)
立川基地が返還されたのは1977年、紅雀と流線形'80が発売されたのは共に1978年。跡地の昭和記念公園の建設はもう1978年に始まったそうなので、「キャサリン」が変わってしまった「立川」に降り立ったとしたら、ギリギリの話になるとは思うけど、ユーミンが「あの子」から苦い口紅を16の誕生日祝いにもらったのは1970年頃で、彼女がアメリカに帰ったのはその1年以内と思われ、その頃からもうランドリーゲートは寂れたと言っているので、1978年の立川は、もう既にかなり変わってしまっていたと思う。
ちなみに写真は、現自衛隊立川基地の飛行場。「あの子」はここから旅立ったのよね?(もしかすると横田かもしれないけど立川にいたのも空軍だし)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?