「どんなに試合に勝てなくても、人数がギリギリでも。この13人は意味があってここにおるんじゃけん。その縁を大事に。最後までやりきろう。」 最後の選手権予選の始まる前。 最後の1ヶ月が始まる前。 練習終わりに、顧問のS先生がかけてくれた言葉です。 それから、「縁」と言う言葉が好きになり。 支えられてやって来ました。 「指導者になりたい。かたちはどうであれ、サッカーで子供と関わりたい。」 決心したのはこの言葉と、顧問のS先生、コーチをしてくれていたK先生の二人がいたから。 ワーク
「神様に何かをお願いする」「神頼み」 あんまりしたことがありません。 毎日、朝早くから畑にでる祖父や父。 そうして家族で守ったミカン畑は、時期になると花が咲き、実がなります。 そんな家族の方が、小さい私にはよっぽど神様でした。 ただ、そんな私も「サッカーの神様」だけはちょっと信じてます。 高2の選手権予選。 私がキーパーとの1対1を外して。流れが悪くなり失点。そのまま、敗退。 そして、高3。同じ選手権予選。 後輩が抽選で引いて来た相手は、同じ相手。 リベンジのチャンスを貰い
サッカープレーヤーとしての息子。 私は、尊敬しているところがあります。 それは、プレー中に息子が発する言葉です。 味方に対して、絶対にネガティブな声かけをしません。 ミスをしたり、ボールを失ったり、自分のパスが繋がらなくても。 「次、次やろう!」 「どんまい!ナイスラン!」 「◯◯ならできるで!」 息子ぐらいの年代なら、躓いた味方にキツイ言葉を無意識に発する事もあるでしょう。 それは、選手としての成長過程だから、仕方のない事かもしれません。 ただ、息子からネガティブな声かけ
「潮の香りがする!」 島を出るまで、私にはわからない感覚でした。 いつもの香りだから。 大学へ進学し、初めて帰省したGW。フェリーから歩いておりる桟橋で、初めてこの言葉の意味を理解しました。 「あー。するわ。これか………」 少し寂しくなりました。 大学では、 「島ってなんなん?何があるん?何するん?」 帰省までの1ヶ月で、それなりにイジられました。 「なんもないなぁー 釣りは年中できる。ミカンがある。夏はどこでも泳げる。それくらい?」 「え? ヒマじゃないん?」 確かに
プレーする以外でサッカーに関わりたくて悩んでいた高校時代。尊敬する先生が問いかけてくれた。 「サッカーを、ワークにするのもいいけど。ライフワークとして長く付き合う人生も楽しいよ。」 当時は、今ほどサッカースクールなんてないし。指導者として生きていくなら、実績やコネや実力が今より必要だったのは間違いない。 私には、全部がなかった。 ずっとそれが引っかかって、自分の足を引っ張ってた。 先生の一言で、先が開けた気がした。 「そうか、小学生の時のコーチはみんな職業コーチじゃなかっ
未来の姿か 目の前の姿か 息子の所属するチームで起こった指導者と保護者の気持ちのズレ。 指導者をしていた分、指導者としての気持ちもわかる。 今は、クラブチームに息子を預ける保護者なので保護者の気持ちもわかる。 U-12の時に花が咲くよう、今は苦い経験をしてでも育成していきたいチーム。 目の前の試合で勝って喜ぶ姿が見たい保護者。 どちらも間違ってはないだろう。 小さな敗戦がきっかけ。 それ以外の小さなすれ違いも重なって、保護者側から気持ちが溢れてしまった。 本来なら
息子が25番を身に付けてから、そろそろ1年。 先月、所属チームに途中入団する子がきた。 「背番号、五十音順じゃけ。オレ、番号変わるんかな? 嫌じゃなぁ。」 「え?何番でも言いってようたろ?嫌なん?」 「だって、1年25番で頑張ってきたんよー?嫌じゃん。茶島選手に新井監督よ?ええ番号じゃん!」 そうかぁ、25番に愛着がわいたんだな。 番号に愛着が出たと同時に、あるプレーに拘りだした。 サイドのポジションをすることが多い息子。 「サイドの選手は、ボール持った瞬間に対角の
この時期になると、サッカー選手の引退が話題に上がりだす。 プロの、宿命。 今年も1人、好きな選手が引退を発表した。 私が、初めてスポーツ選手の引退にショックを受けたのは。実はサッカー選手ではない。 広島東洋カープ、背番号24 大野豊投手。 振りかぶってから、左手を下げて一瞬ためる。そこから、まさに全身を使って投げるフォームがたまらなくかっこ良かった。 引退試合は、確か休日のデーゲームじゃなかったか。テレビにかじりついて観ていた。 それから、何人も好きな選手が引退してきた。
私は、背番号は9番が好きだ。 今、草サッカーチームでも9番を付けている。 ポジションは、SB。FWではない。 本来は、9番を付けるポジションではない。 サッカーにおける9番は、点取屋。 憧れは、そんな選手だった。 そんな選手になりたかった。 育ったのは瀬戸内の島。田舎。 サッカーチームはあったけど、チームと言うよりはサッカー教室。大会や試合に出る訳じゃないから、まずユニフォームがなかった。 さらに、進学する中学にはサッカー部がない。 仕方なく野球部へ入った。野球部で初
私は、小学生の頃からサッカーをしている。 ただ好きで、ずっと今も。 何か実績があるわけでも、凄い選手でもない。でも、ずっとボールを追っかけている。 膝の靭帯も何回も怪我した。 小さな島の高校だったから、3年間で勝ったのは練習試合も含めて3回。 だけど。私はプロでもなんでもないけど。 恵まれたサッカー人生を歩んでいる自信はある。人に恵まれたおかげで。 ただ2つだけ、後悔がある。 今日は、そのうちの1つを。 高2の夏、新チームでキャプテンを任された。 秋の新人戦。冬の大会を助
GW中。 サッカーをしている息子は、ほぼ所属クラブチームの試合。 会場になるグランドには、色んなチームの子供たちが集まり始める朝の時間。 同じグランドで、地元の社会人チームの選手がトレーニングをしている。 そのチームの目標は、Jリーグ参入。私自身もサッカー経験者。未だ、草サッカーチームで週末プレーヤーをしている。 だからこそわかる、選手のレベルの高さ。 だからこそ思う、この選手達が目指すJリーガーの偉大さ。Jリーグでプレーするってとんでもないんだと。 練習する選手たちを見て思
初めまして。 昔から頭の中を整理するのに、文章を組み立てる事が多かった。 文字にはおこさず、ただただ頭の中で。 瀬戸内の島で育った私。 何かもやっとした学校の帰り。 お気に入りの防波堤に座って海を眺めながら、ただただ頭の中で文章を組み立てた。 あれから少し歳をとり、島から巣立ち、家庭を持ち、いつの間にか頭の中の作文を止めていた。 それが、あるきっかけでプロのライターさんと話をする機会が訪れた。 私の発した言葉が文章になった。久しぶりに、あの頃のスッキリとした感覚を覚えた。