見出し画像

ぼっちの休み時間の過ごし方

私は学生時代「ぼっち」だった。
コミュニケーションがとても苦手で
学校で全然喋らなかった。
丸1日、一切喋らない日もあった。
そんな自分が自分でも、不思議で
なんで喋れないんだ?と
小学校高学年になってから疑問に思うようになった。
だが、中学生の時に自閉症と診断されて、
だから喋れなかったんだ・・・と謎が解けた。

小学校時代、友達は一応1人いた。
でも、その子もすごく大人しくて
お互い喋らないしめっちゃ仲良いってほどではなかったので
そんなに親密にならなかったが、
その友達がいるだけで、救われていた。
かといって、一緒に遊ぶということも、あまりなく
休み時間は別々に過ごすことが多かった。

なので必然的に休み時間は、私はぼっちになる。
皆んなが、運動場に遊びに行って誰も居なくなった教室に
1人取り残されることが多かった。

誰も居ない教室というのは、寂しい。
外から子供の声が、聞こえてくる。
窓からの風で静かになびくカーテン。
あと何分で休み時間が終わるのか、時計をじっと見つめる。
早く家に帰りたいな。。って思いながら過ごす。
皆んなが教室に帰ってくると一気に騒がしくなる。
誰も居なかった教室は夢だったかのようだ。

でも私以外に誰か教室に居ることもある。
その時は、教室から出る。
一人で居ると思われたくないからだ。
それか本を読んでるフリをしたりする。
お道具箱をごそごそしたり、次の授業の準備をゆっくりする。
自分は忙しいですよ的なアピール。

教室から出る時は、校舎内をあてもなくウロウロしたり
トイレに篭ったりした。
自分は何してるんだろう・・・と泣きそうになる時もあった。
辛かった。
皆んなと違う世界に自分はいるんだな。と思った。

小学校6年間の休み時間をよく乗り切れたなと自分でも思う。
たまに休み時間に「みんな遊び」というクラス全員参加で運動場で遊ぶというものがあった。鬼ごっこ・ドッヂボールなどをした。
正直、楽しかった。
学校で友達と遊んだ記憶が、これぐらいしかない。
もっと友達と遊べていたら、学校も楽しかったんだろうな。

休み時間は、学校の授業より嫌いだったかもしれない。
「自由」と「孤独」が合わさったもの。
休み時間なんて、自由に過ごしても良いのに
私は孤独に囚われて身動きができず過ごしていた。

「友達は大切」「仲間との絆」
小学校でこういうのを刷り込まれる。
私にとっては、しんどいものだった。
やはり私には集団行動は向いてなかった。

子供の頃の集団行動から解放されると、
次は大人になって一人で人生を歩むようになる。
大学や会社とかでも学校の休み時間と一緒で昼休みというものはあるけど、
一人で過ごしていても、おかしくないだろう。


休み時間は、自分で自由に過ごして休息するものだ。
本来は、友達とか周りの人とか関係ないのだ。休み時間は、自由に羽を伸ばそう。


同年代の集団の中で、ぼっちになるのは
しんどい。
学校という空間は、特殊だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?