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般若心経のことども2 色即是空

観自在菩薩って誰?

前回、般若心経の語り手は観自在菩薩だと言いました。いわゆる観音さんのことですね。もう少しきちんというと観世音菩薩となります。世の人々の苦しみの声を聞いていただけるという、ありがたい菩薩さんです。自在は自由自在の自在ですから、大勢の人の苦しみを自在に救ってくださる、ということなのでしょう。

日本三大観音なんてのもありましてね、一般的に東京は浅草寺の浅草観音、名古屋市は真福寺の大須観音、津市は観音寺の津観音があげられます。千手観音に、十一面観音、馬頭観音など、いろんな形の観音さんもいてはります。例えば千手観音さんです。大勢の人に頼まれるのに、二本の手でたりるのかよ、と後世の人が考えたんでしょうな。とにかくつけられるだけつけとけ、となったんと違いますか。十一面観音さんにしてもそうですね。ありとあらゆる方向からの声を聞き逃したらあかん、となったんでしょう。

なら、馬頭観音は、とくれば、これは馬専門という話では、残念ながらないですね。馬の力強さに、世の悪の一掃を託したんでしょう。ただし、路傍にある馬頭さんは、馬をいただくその外見から、馬の守護として建立されたようです。馬が車代わりに使われていた時代のことです。大切だったんですね。

では般若心経に戻りましょう。観音さんに言葉を授かっている相手が登場します。

今回はここ

「舎利子」(しゃりし)

「しゃりし」。これは人の名で釈迦の十大弟子の一人、智恵では第一といわれるシャーリープトラのことです。さあ、観音さんは舎利子に何を教えたのでしょう。

「色不異空 空不異色」(しきふいくう くうふいしき)

あらゆるものは、空っぽなんだ。空っぽというけれど、あらゆるものと言ってもいいのだよー。一体なんだ、言葉の遊びじゃないのか、といった感じですが、確かにそう言っております。そして般若心経で最も知られた部分に突入するのです。

「色即是空 空即是色」(しきぞくぜくう くうそくぜしき)

先の8字の言い換えですね。「色」すなわちこれ「空」なり。「空」すなわちこれ「色」なり。あらゆるものは空である。空、すなわち、あらゆるものである。随分きっぱりと言い切ったものですねえ。ことばに勢いはありますが、いったいどういうこと?

空」とは心経さんの中心概念です。「色」は物質要素のことですから、「ある」と「ない」は同じと言っているようなものです。数学のゼロを発見した、いかにもインドの人らしい発想だと思いますが、わかったようでわからないですねえ。ここは大事なところですから、引き続き考えてみましょう。


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