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集団ストーカーと呼ばれるものについて

 集団ストーカーについて訴えている彼らの何人が被害者なのかもどこまで現実で妄想かも、私にもわかりません。接触しようかとも思いましたが、判断しようがないので個人的な話だけします。
  何にしろ、多くは危機に対処するために防衛反応が過剰になってしまっていることによるもので、正常に近づくには気分にあった娯楽が一番の薬だと思います。https://novelup.plus/story/109149886


「椅子と付き合った話(椅子こん!)」は創価と無関係のはずなのにすずめの戸締りの元ネタにされたweb小説です。


集団ストーカーという言葉への解釈

 デフォルメされていますがこの作品は実話が何割かあります。集団ストーカーと呼ばれるものの本質的なヒントがあるんじゃないかな。
 用語として馴染むので、この単語を用いました。
現象そのもの、追いかけられるという被害は私もあるので否定はしませんが、それをストーカー、という言葉で片付けるのは違和感はあります。
ストーカーは好意を持つ相手への歪んだ独占欲、支配欲によるおっかけを示すことが多いですが、それはファンなど決まった人です。
知らない人が待ち伏せしているのは、指示だとしても仕込み、やらせというべきでは? 集団ドッキリの方が近い気がしますね。
あるいはモニタリング。
「知らない人がついてきたらどうする?」



 椅子こん!について



接触禁止という街の御触れが出ている彼女は長年隔離されてきていました。孤独な主人公。
しかし、街の人が言う『呪われているからだ』という言葉を信じて受け入れて居ました。

 人々に避けられていると思っている彼女は、人間を信じて居ませんが、対物性愛者なので平気でした。
ある日、偶然出会った『椅子』と恋に落ちます。
呪われている自分に他に構う者などなく、受け入れてくれる椅子のやさしさ。
椅子と恋に落ちる主人公。
 役場にパートナーとの書類を提出しようとしますが、
 それを阻害されます。

 不思議なことがおきました。
孤独を当然として暮らしていたのに、呪われている自分の所有権を、
なぜか街の人が取り合っている。

接触禁止という、あの御触書は何なのか?
ここで、孤立が誰かの意図的なもの、噂を流されているだけであると気づきます。

何故自分に関するものが街中に溢れているのか等のお話。



私は対物性愛に関心があって、椅子と付き合う恋愛ものを書こうと思って描いて居ますが、性描写は特に無いので読みやすいはず。
抗議文だとか、犯罪解釈とかそういうのじゃなく、ただ感情的なものとしての迫害の風景を描きました。


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