ミネクラヴィーレ 「1話」

出会いのお話

 出会ったのは、雨が降り注いだばかりの、蒸気の晴れた日だった。
   蒸気がだんだんと青空を覆い隠していく。そこにそびえ立つ時計塔。その最上階の物置部屋に、それは居た。
「これを、片せと?」
 彼女はそれに布をかけ直し、仲介者である老人を睨んだ。
「そうは言っていない。掃除が行き届いていなくてもいいから部屋を購入したいと言ったのはそちらだろう。勝手にやってくれ」
 老人は睨みに怯みながら、螺旋階段をいそいそと降りていく。彼女は詰まれた荷物に腰かけて、葉巻に火を付けた。火を扱うなと再三言われたが守る道理もない。

 彼女の名前はオルキス。哲学者であり、科学者である。可憐な容姿とは裏腹に、冷たい態度と毒のような言葉に、棘や毒を持つ美しい花のようだと人々は噂した。いつしか、人々は彼女を「Ms.Flos」と呼んだ。当の本人は気にしてもいないが。
 彼女は時計塔の部屋をいくつか購入した。研究に没頭出来て、規則的な生活の出来る環境を求めていた為、時計塔の部屋は都合が良かった。一定の時刻で鐘が鳴り、高い階層だから街の騒音も気にはならない。だからと購入したが、まさか掃除も行き届かぬ部屋とは、不要な物が溢れている部屋だとは思いもしなかった。
 一番の問題は、それらが誰がいつ持ち込んだものかも分からぬという点だ。それはその中の一つであった。

 久しぶりの青空だというのに、気分は晴れない。17時を回った段階で、空は煙に覆われてしまった。埃を被った物屑たちをどう片そうかと悩み、葉巻を咥えたまま、見渡し歩いた。布を取っ払えば、まだ使えそうな鉄屑も埋まっている。見ればよく分からないおもちゃ。いつの時代の物かもわからぬ衣服。それらを投げ捨てながら煙を吐く。

 それは、奥の箱に鎮座していた。取り払った布のおかげで埃の被っていない新緑の髪。日に当たらないのがもったいない程、輝く一部分の金髪。ベリル鉱石に異物が混じってしまったような独特な色素を持つ。肌は白人のそれに等しい色で、四肢を持つ、人の形をした何か。
 興味を引かない学者は居ない。心臓部に耳を当てれば微かな熱振動の音が聞こえる。
 つまり“これ”は稼働するということだ。
 彼女は立ち上がって、一つため息を吐いた。

―私でなければ喜んでいたな―

 そんなことを思いながら、彼女は葉巻を落として鉄板底で踏み潰した。落胆したのだ。ここにあるということは、どこかが壊れて投棄されたということ。つまりはガラクタ。つまりはゴミだ。
 人型の、ましてやこれほど精巧なものを生み出せる科学者など知りもしない。探す手がかりは既にガラクタとなったそれだけ。
「どうせなら、この部屋のゴミを掃除してくれればいいのに」
 人に寄せた作りをしたならば、人の形をしているならば、人なりに動いてくれぬものか、とその頬に触れる。熱が籠っている表皮は熱い。
 まるで眠っているそれに、慣れた言葉が思い浮かんだ。目覚めの時、一番に誰かが口にする言葉。ここ数年で一度も口にしなかったその言葉を、僅かな期待を込めて告げた。

「おはよう。いつまで寝てるんだ」

 なんて、くだらないことを言っても意味がないのは理解している。それでも、眠っているだけに見えたそれは、目覚める気がしたのだ。

 パチリと、それは瞼を上げた。色の違う双眸を明かした。その光景に、取り出した葉巻を落とした。
 それはまるで、誰かから起こされるのを待っていたような目覚めだった。それは口角上げる。人で言う微笑み。彼女はそっと、葉巻を拾って立ち上がり、咥えて火を付けた。呼吸を整えて、煙を吐き、また視線を移す。
 幻覚かとも思えたそれは辺りを見回して、首を傾げながら、身体の動作確認をしていた。腕を曲げ伸ばし、両腕伸ばして背筋を正す。まるで人間のそれにしか見えない。
「お前は、人間か?」
 人間ではないのは理解しているが、敢えて尋ねる。それは瞳を瞬いて、怯んだように口を開ける。
「え、わかんない…」


 それが出会いであった。
 彼女は呆れて平手打ちをするし、機械仕掛けのそれはなぜか痛がるし、18時の鐘が塔に鳴り響いた。

 部屋の掃除はそれに任せた。ガラクタや衣服に興味を示すそれに、彼女は頭を小突いて捨てさせた。
 時計塔の最下部、地下へ下り、炉に衣服を放り込んでいく。ガラクタを入れていた木材の箱も一緒に投げた。時計塔は四六時中稼働をしているため、ここの火は常に燃えている。常に燃料物を与えなくてはいけない。それは管理者に任されたものではないが、全てMs.Flosの指示だった。
「ミズ・フロース。これは燃える?」
 彼女は葉巻を投げるついでに、差し出された物に触れて確認をする。材質は皮に近いが、やけに分厚いそれは高価と言えるだろう。
「…燃えるな。入れとけ」
「はい!」
 しかし、彼女は物の価値に興味はない。素直に従うそれを眺めて、彼女は部屋を後にした。階段を上りながら、あれの存在を考えた。
 人の形をした、会話も可能であるそれが存在していいはずがない。誰が、何故、生み出したのか。指示を素直に聞く辺り、小間使いにしたかったのだろうか。それにしては思考があるように見える。それは不要な物にも思えるが、それこそ作り手の趣味というものだろう。
 地上階に上がって、汚染された空気を吸い込む。喉から、肺がざらざらと撫でられるのにももう慣れた。軽く咳込みながら、階段を駆け上がる音を聞いた。
「ミズ・フロース!置いてかないで!」
 焦り困った顔のそれは酷く人間染みている。
「出てくるな」
「えっなんで!?」
 驚いたそれもまさしく人間らしい。理不尽な命令に「なんで」と返す辺り、思考はあるし反論もするようだ。これでは小間使いには使えないだろう。
「…まぁいいや。戻れ。掃除道具を持って来るから、要らなそうな物を燃やしておいて」
「え、でも何が要るのかわかんない...」
 心底面倒だと、それを睨みつけた。そこらの子供は怯えるというのに、怯む様子のないそれは、やはり感情が欠如しているようにも見えた。
「分かった。じゃあ全部燃やして」
「全部?」
「私には必要のないものだから」
「…俺の、欲しい物は残していい?」
 おずおずと、上目遣いで尋ねる。お願いをしているのだろうが、彼女には心底どうでもいいものに感じる。しかし、機械仕掛けのそれが欲しいと言う物がなんなのかは気になった。
「例えば?」
「これ!」
 食い気味に差し出してきたのは鍵だった。どこのともしれない、複雑な構造の鍵。手のひらに収まるサイズのそれの何が良いのか。錠がなければ意味もないそれを、大事そうに両手で持つそれは必死だった。
「それの何がいいの?」
「この不思議な形が、なんか魅力的というか…すごいかっこよくて、かっこよくない!?」
 分からない。が率直な感想だ。しかしその鍵が、この機械仕掛けのそれは気に入ったのだろう。瞳を輝かせて頼み込む姿が子供のようだ。
「それにこれ、燃えないでしょ!」
「…そうだな。そんぐらい小さいものなら気にしない。けど」
 びしっと指を突き立てて念を押す。
「デカイものとかは駄目だ。置いといてかさばる物は燃やせよ、邪魔だから」
「はい!頑張ります!」
 許可をもらえたことで、満面の笑みで駆け出した。階段を駆け昇る陽気な足音を聞きながら、踵を返す。
 近くにある自宅へ向かい、バケツにぞうきんを投げ入れる。水道から水を注ぎながら、なるべく身軽な服へ着替える。そして、水の溜まったバケツを持って、また時計塔へ向かう。
 自宅は基本寝るか学ぶかだ。研究室が欲しかった。実験を繰り返し成果を出すための研究室。郊外にも小さな小屋はあるけれど、そちらは騒音どころか自然があふれてしまっているため、研究に没頭しすぎて生活が出来なくなるのだ。気が付けば街の友人に心配され様子見に来られる。そして栄養失調で倒れているところを発見されるのだ。
 そんな生活はもうこりごりだと購入したのに。思いの他、障害が多い様だ。

 時計塔に着けば、物が燃える不快な臭いが漂ってきた。外れかけの空いた柵をくぐり、大きな水槽と、炉を見下ろせる広間。階段を登ればいくつかの部屋。下れば炉へ向かえる。
 バケツを置いて見下ろせば、それは衣服を眺め、悔しそうに炉へ投げた。次に手に取った一着も「わぁ素敵」と眺めてはまた悔しそうにそっと投げた。そしてまたもう一着も。
「それ、舞台衣装だぞ」
「わっ!!」
 階段を下りる音が聞こえなかったのか、後ろからの声に飛び跳ねて驚いた。むしろ驚いた声に彼女も肩を上げる程。
「び、びっくりさせんなよ!」
「驚くこともできるのか…」
 それは早まる鼓動を沈めるように胸に手を当てて「何言ってんの?」と訴えていた。彼女は、それらの人間らしすぎる言動に腹が立っていた。
「あーはいはい。あと上にどんくらいの物ある?」
「でっかい箱が二つぐらい~」
 気怠そうに背を向ければ、負け惜しみのような声が張り上げられた。階段を上り、バケツを拾ってまた上る。

 暗い部屋のライトを点ければ、埃が照らされ、白く霞んだ部屋が浮き彫りとなった。足跡がせわしなく列を成し、物が置いてあったであろう場所は埃の代わりに腐食が進み、カビや錆が模様を作っていた。
「くっせぇな…」
 ため息交じりに呟いて、窓を開けて換気をする。外も排気ガスが漂い、空気を汚染している。そこで育った彼女にとっては、何より心の落ち着く香りだった。
 ばたばたと階段の駆け上がる音を響かせ、それが顔をだした。
「次!」
 と元気に木箱に掛けられた布を取り払う。埃が舞っても構わず物を漁る。キラキラと輝くブローチを見つけては、衣服に着けて満足気。カッコいいだの可愛いだの、コロコロと表情変わるそれを眺める。
「元気なこった」
 独り言と大差ない言葉を、それは聞いていて、はっと顔を上げた。
「逆に、ミズ・フロースは元気ないね」
「掃除はこの部屋だけじゃないからねぇ」
「今んとこ何もしてないじゃん」
 彼女はそれの呆れ顔に、失笑した。
「便利な物を見つけたんだ。使わないでどうするよ」
「あ、俺のこと?」
「他に居ないよ」
 不満そうに口を尖らせた。それはどこか寂しそうだ。
「こき使われるのは嫌な気分。でも、宝探しだと思えば楽しいよ」
 恐る恐るではあるけれど、様子を伺いながらも、確固たる意思を持つそれは視線を交えて訴えた。ライトで照らされたからだろう、その瞳に光が宿り、それは人間としてそこに立っていた。
「だから…あんまり便利な道具、みたいな扱いしないで…」
   眉を潜めるそれに、かける言葉が見つからない。お前は何者なのか、なんて、今更問う方が面倒だ。
「お前は…したいことを、すればいいよ」
 それは、首を傾げ微笑んだ。人間ではないそれに、彼女は言葉を探すのををやめた。それは特異な存在であることは明白で、今更破壊することなど出来ない。道徳的ではないから。だから、それを飼うことを決めた。理由などこれから探す。
 微笑むそれは、人間のようで、人間ではないのだから。

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