「チーズとうじ虫」

「チーズとうじ虫」

ごく薄い層の人々の、歴史に残った言葉だけでその時代を代表させてしまっていいのものか。歴史の記述にもれた民衆文化の深層に横たわるものとは。

十六世紀のイタリア、一人の粉挽き屋メノッキオが異端者審問にかけられます。アンチキリストの世界観の流布。本書はそのスリリングな裁判記録です。そこから現れたのは歴史の河底に埋もれた古い農民文化と新時代の人文主義の出会いの記録。

異端審問でメノッキオが語っている”世界観”は、なんと世界はチーズから湧き出るウジ虫のように自然発生した、というものでした。しかし、狂人としては論理と修辞の筋があまりに通っており、最初は笑っていた審問官たちは、次第にこの“バカなことを正しい文法で論ずる男”に怖れを抱くようになります。当時は真なるものは正しい文法を伴う、と信じられていたからです。

誰が入れ知恵をしたに違いない!と共犯者を問われた男は、胸を張って答えます。「これは私が独りで考えたことでございます。」

教会側からすれば、こんな男がそれこそチーズに沸く蛆虫のように自然発生的に現れることは、治世の根幹を揺るがす自体だったわけです。

おりしも時は宗教改革と印刷革命の衝撃の第一波がすぎ、新思想や書物は民衆の普通の経験の一部となっていった時代でした。ベネチアの書店で安く買える知識を聖職者が独占して勿体ぶっているという不信感や、自分たちが漠然と感じていた物事を言語化していく高揚感が高まった時代です。

ここで重要なのが、粉挽屋という職業。農民たちが収穫した小麦を持ち込んで風車で粉にしてもらうのですが、そこはその待ち時間に様々な交流がなされていた一種のサロンであり、かつ領主との間の簡易金融のような役割があったのです。
そのようなある意味の思想のるつぼのような場所で、それまで歴史の底に埋もれていた民衆文化が、書物の知識を媒介にメノッキオのなかでチーズのように熟成されていったのです。それが耳学問にすぎずとも。事実、同時代に別地域の粉挽き屋も異端者審問に掛けられた例がいくつかあるようです。彼らに直接のネットワークはなくとも、(歴史に埋もれた)民衆文化というタテ糸と(歴史に残る)書物というヨコ糸で繋がっていたのです。そのあたりの推論も本書のみどころ。

教会側の焦りと裏腹、
どんなに異端と呼ばれようと、裁判記録の中でメノッキオは自分の意見を(無学な農民たちではなく)審問官や神学者相手にとうとうと語る喜びを感じているようです。
それは、歴史に残らない人間の目醒めの喜び。

自説を最後まで覆さず、最後はなんと教皇の勅命で火あぶりとなった彼の、「仲間はいません。すべて私だけで考えたことです」の言葉はあまりに滑稽で、切ない。しかし歴史に残らない人間の尊厳が確かに感じられもするのです。


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