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2022年 12月

退院後1か月は何とも幸せな日々だった。
テグレトールはまだすこし飲んではいたが、薬の副作用がかなり抜けたのか、体はとても軽かった。
何でもできそうな勢いだ。
こんなに体って軽かったっけ?と思う。
仕事もフルタイムに戻せそうだ。
が、それも長くは続かなかった。

12月痛みが再発した。
いや、再発としては早すぎる。
治らなかったのだろう。

フルタイムで戻る事を検討していた矢先の事だったので、かなり落ち込んだ。
何が嫌って、この時の痛みはせいぜい20〜30くらい。
大した事はない。
ひとりで術後の経過診察に行く事ができたくらいだ。
でも「放っておいてはいけない痛み」
だったのだ。

言葉で説明する事は難しいが、
同じ50の痛みでも大丈夫な痛みと、大丈夫ではない痛みがある。
大丈夫ではない痛みとは、のちのち発作に変わる痛みの事だ。
今までも何となく感じていた違いだが、手術後はなぜかこの違いがよく分かるようになっていった。
だからこそ、心底恐ろしかった。

仕事の事では夫とはずいぶん揉めた。
私は、仕事がしたかった。
仕事人間とは言わないが、何よりも優先してきた事は事実だ。
仕事の都合で家族に甘える事もあった。
私の実家が自営だった事も大きいと思う。
自営は仕事がなければ収入がない。
仕事を優先する、というのは実家では当然の事だった。
そこが、夫の家族とは価値観が大きく違った所だ。

どうして、働いてはいけないのか。
どうして働く事に協力してくれないのか。

当時の私の頭の中は、この言葉でいっぱいだった。

もし私が男だったら、
「働かなくても良い」
と言ってもらえただろうか。
女だから言われたのではないか。
女だから、家で家事をしていればいいのに。
もちろん心配だから、という気持ちが一番だろう。
それは分かっているつもりだったが、みんなの根底にこういう思想が埋め込まれているのではないか。
それが私にはどうしても受け入れ難かった。

この年の年末。
調子が悪い中、なんとか仕事は乗り切り明日から年末年始の休暇。
ただ、休暇といえども我が家は家業がある。
ちょっと特殊な家業で、普段はそれほど忙しくないが、年末年始はいろいろやる事があった。
朝起きて、うがいをした後。
痛みは60〜70くらい。
まあまあ痛いが、数秒なら耐えられる。
ただ、この痛み。
例えば腹痛なら救急車で運ばれるレベルだと思う。
そして、恐れていた事態に。
痛みが消えない。
そのあと1時間以上続く。
こうなるともう動けない。
結局何も仕事はできず、年末年始は寝込んだままだった。

痛みは弱くなっているのかもしれない。
でも、手術をした以上、この痛みと一生付き合っていかねばならない。
という事が明らかになった瞬間でもあった。
そして、テグレトールがほとんど効かない。
それは、私にとっては絶望以外何ものでもなかった。

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